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韓国の歴史

書籍・雑誌

2009年8月11日 (火)

チェクポルレ⑰ 児童文学

☆ 金松伊『낫짱이 간다(夏ちゃんが行く)』(보리)

以前は灰谷健次郎・今江祥智・上野瞭・しかたしん(『国境』)・赤木由子(『二つの国の物語』)・乙骨淑子(『ぴいちゃあしゃん』)など,児童文学のジャンル(ジャンル分けなどどうでもいいが)の本もよく読んだが,最近は時間的に無理になった。それでも金松伊(김송이 キム・ソンイ)の上記の本は,韓国語で出版されたものだから読まないわけにはいかない。

副題は,「차별에 맞선 조선 아이 낫짱 이야기(差別に立ち向かう朝鮮の子供夏ちゃんの物語)」となっているが,これに惹かれたわけではない。キャッチコピーとしてこうなるのは理解できるが,ステレオタイプな表現には鼻白む面がある。こんな風に一面的に割り切れるものなら,文学という体裁をとる必要はないのだから。こういう反発も本文を読めば吹っ飛ぶ。

さて,作者は大阪で生まれ,中学卒業までは「金本夏江(カネモトナツエ)」を名乗り,その後は朝鮮高校に通って「金夏江(김하강 キム・ハガン)」となり,大学の時に自分の意思で「金松伊」に変えたそうだ。そして自分をモデルとして,小学校3年生の少女の生活を展開したのがこの小説だ。したがってタイトルは「夏ちゃん」と表記するのか「ナツちゃん」とする方がよいのか分からない。

『はだしのゲン』の韓国語への翻訳者でもあり,当然日本語は自由自在に扱えるにもかかわらず韓国語で執筆し韓国で出版したのは,日本語では創作活動をしたくないという信念があるのかと推察される。

児童文学だから,韓国の小学校低学年でも読めるはずだが,思ったほどすらすらとは読めなかった。日本人が朝鮮語を学ぶのに,生活から接近したのでない場合は,罵詈雑言とか悪態(욕설=辱說)に馴染みが薄く,オノマトペの類のボキャブラリーも乏しい。また,パンマル(タメぐち)の問題も影響しているかもしれない。最近はそうでもないが,なにしろ学び始めた頃はもっぱら丁寧語であったから,関川夏央が『ソウルの練習問題』で書いているように,「路傍のイヌにもていねいに話しかけたりする」状態が続いた。未だになかなかぞんざいな表現には慣れない面がある。

むしろ新聞の社説や漢字語の多い所謂硬い本なら楽に読めるから,児童文学ならあっという間に読めるという錯覚が生じていたのかもしれない。その国で実際に生活せずに外国語を習得しようとすれば,こういうことが避けられないのだろう。逆に言えば,色々なジャンルのものを読めば訓練にはなるということだ。

舞台は大阪だが,朝鮮人多住地域ではなくクラスに2人(実際には1人--このことは後半で明らかになる)だけで,いじめ・からかい・嫌がらせの絶好の対象となる。それに真正面から立ち向かっていく正義感溢れた女の子。何しろ「女番町(여자 깡패=ヤクザ)」というあだ名を付けられる位で,一歩もさがらない。もっともこのあだ名は,日本語ではどちらかというと「女ガキ大将」が適当かもしれない。ある意味では痛快で,とても「癒し系」というような甘っちょろいものからは程遠い。

作者の記憶力の素晴らしさには驚嘆するが,記憶力だけで文学作品が書けるわけではない。それがいろいろな場面で的確な表現で再現・再構成されているからこそ,読む側に伝わってくる。ただし,時代的な背景は同世代人としては非常によく分かるが,若い読者にはピンと来ない部分があるかもしれない。

特に印象的だったのは,鶏肉屋に鶏の頭を買いに行く場面の少女の心理。あるいは,今なら「よいこの皆さん,決して真似をしないように」とでもなりそうな汽車の線路の下の部分に隠れる冒険遊び。姉として妹をかわいがりよく面倒は見るものの,意地悪をしたくなる微妙な感情。こういったエピソードをはさみつつ,読者をぐいぐい引っ張っていく膂力あるいは馬力は凄い。挿絵も当時の町並みの雰囲気がよく出ていて,躍動感もあって内容とマッチしている。

そしてあくまで,いじめる側の有力者や裕福な家庭の息子たちとの対決を太い筋として進行し,児童文学として欠くことのできないストーリーの展開の巧みさを備えている。

いくつかの場面で涙が滲んだが,個人的にはその意味が気になる。恐らく映画『帰らざる密使』を見たときのものと類似していて,単純に少女の側に立って憤るのではなく,その悔しさを共有できないもどかしさや腹立たしさといったものが混じっている。自分はいじめる側には回らないと嘯いたり,ひたすら悔い改める贖罪意識なんぞとは無関係だ。

このような一読に値する作品が,現在は韓国語でしか読めない。韓国語を学ぶ人が教材として使用することも考えられるが,誰か日本語に翻訳して出版してくれればより多くの人が読めるのに。

☆ 『洪吉童』

『夏ちゃんが行く』の挿絵を担当しているのが洪永佑(홍영우 ホン・ヨンウ)で,個人的には非常に懐かしい名前だ。20年以上前に日本で出版された全篇ハングルだけの『홍길동(洪吉童 ホン・ギルドン)』(조선청년사=朝鮮青年社)という絵本の作者である。もちろん有名な許筠(허균 ホ・ギュン)の『홍길동전(洪吉童傳)』を子供向けの絵本にしたものだが,その絵がなんとも味がある。

こういう形で出版される時代があったということは記憶しておいていい。

結末の部分が原作と少しずれている所もあるが,子供向けということもあるだろうし,それ以上に作者が作品に込めたかったメッセージということでもあるだろう。これはこれで説得力はある。

話そのものは林巨正・張吉山と並ぶ三大義賊のひとりである洪吉童の生涯である。山田風太郎の忍法ものや白土三平の『忍者武芸帳』の分身の術を連想させる部分もあり,映画やアニメなどさまざまに取り上げられているヒーローだ。しかし単なる娯楽作品というより,「活貧党」を率いて僧侶・貴族・役人などを懲らしめる内容が,現実の政治の不正・腐敗とリンクするからこそ歓迎されるのだろう。

韓国で出版されている児童文学に関しては全く知識がないから,これから少し挑戦してみようとも思うが,ちょっと荷が重そう。

2009年7月27日 (月)

チェクポルレ⑯ 黃晳暎Ⅲ 

☆ 『パリデギ』

黃晳暎の同名の小説の日本語訳『パリデギ』(岩波書店)だ。韓国語で読んだときのイメージとかなり違う。自分の韓国語の実力は中級程度に過ぎないと思っているから,翻訳の巧拙を云々する自信はない。しかし,例えば咸鏡道(ハムギョンド)訛り(사투리 サトゥリ)とおぼしきハルモニの会話には,慣れないうちはかなり手こずったが,それが日本語訳ではサラリとかわしている。そんなものなのかなあ。

翻訳というものが単に意味を伝えるだけでなく,文体も含めて他の言語に移そうとするものだとすれば,こんな上品な雰囲気ではないような印象を受けていただけに意外であった。専門家の意見も聞きたいものだ。

また,本文に註がほとんどないのはそれも一つの方針かなと思えるが,解説にもパリ公主なりムーダンに関する解説がほとんど見られない。訳者の関心がそこにはないということだろうし,大半の読者もそういう興味で接近するのではないかも知れない。しかしこの本は,読者に多面的な情報を提供するというより,訳者が個人的に読者を誘導しようという意識が強すぎるのではないかと思えた。何かサービス精神の欠如というようなものを感じる。これは訳者ではなく,編集者や出版社の領分かもしれないが。この作品に惚れ込んで,熱気に溢れた1冊の本に仕上げようという風には伝わってこなかった。

それでも一昔前なら,小説であれ評論であれ韓国語の翻訳は安宇植(アン・ウシク)が一手に引き受けていて,ある意味では異常とも思える状況だったのに比べれば,日本人が翻訳するようになっただけでも時代の変化といえるだろう。

ただなんといっても一番気になったのは,この本の副題が「脱北少女の物語」となっている点だ。原著にはもちろん付いていない。興味本意に取り上げる週刊誌やテレビ番組でもあるまいし,「脱北」を売り物にするとは,黃晳暎が気の毒というものだ。八つ当たりついでに書けば,表紙の「パリ」を表しているらしい装画は何じゃこりゃ。

☆ 韓国現代小説

翻訳の話になったから,韓国の現代文学に関して乏しい知識を顧みずに書いてみよう。日本では日本人の詩集ですらほとんど売れないから,韓国人の詩集どころではないだろう。だから小説に限定するが,例えばある世代より若い韓国人ならほとんど知らない人がいないらしい黃順元(황순원 ファン・スヌォン/スンウォン)の『ソナギ(소나기)』や趙世煕(조세희 チョ・セヒ)の『こびとがうちあげた小さな球(난장이가 쏘아올린 작은 공)』 。特に後者はナソゴン(나쏘공)という略称まであるくらいだが,どちらも日本語で読んだ人はかなり少ないのではないだろうか。

それなら,太宰を読んだことのある韓国人は多いのか?という反論が出て来るかもしれない。これは面白い問題だ。日本と韓国でそれぞれ相手のことをどれだけ知らないか(知っているかではなくて!)を調査するわけだ。当然知っていると思われる初歩的なことも知らないことが多そうだ。--脱線(삼천포로 빠지다)。

韓国では出せば確実にヒットするといわれている孔枝泳(송지영 コン・ジヨン)とか申京淑(신경숙 シン・ギョンスク)でも,日本で翻訳・出版されているものは数えるほどしかない。村上春樹や吉本ばなな(よしもとばなな)が韓国でブームになるほど読まれたのとは極めて対照的な現象だ。

まだまだ道は遠いようだ。

2009年7月24日 (金)

チェクポルレ⑮ 黃晳暎Ⅱ

☆ パリ公主(공주 コンジュ) 

日本や韓国のシャーマニズムに興味があるが,韓国ならムーダン(무당=巫堂)とクッ(굿)ということになる。儒教の国とはいっても仏教や道教の影響が色濃く,なんとも不思議な世界ではある。もっとも,このような習合は日本人にとって馴染みのないものではない。

パリ公主は,ムーダンの祖と位置づけられているようだ。死者の霊魂をあの世に送るために執り行われる死霊祭で口演される巫歌が,この「パリ公主」の説話である。ソウル地域のチノグィクッ(지노귀굿)・東海岸地域のオグクッ(오구굿)・全羅道地域のシッキムクッ(씻김굿)・咸鏡道地域のマンムククッ(망묵굿)など,内容は地域によって差異があるが,基本的には次のようであるらしい。

① 国王夫妻が娘ばかりを続けて六人授かるが,七人目も娘であることに腹を立ててこの子(パリ公主)を捨てる。
② 捨てられた娘は親切な老夫婦に助けられ養育される。
③ 王が病気になり,これを治す為には薬水(약수,약물)が必要とされる。
④ 他の娘たちはこの薬水を求めに行こうとはしない。
⑤ 臣下たちがパリ公主を探し出し,この末娘は薬水を求めて出発する。
⑥ この薬水の管理者(?)にあれこれ仕事をさせられ,結婚もして子供ももうけるが,どうにか薬水を手に入れる。
⑦ 帰って来ると王は既に死んでいたが,薬水によって生き返る。
⑧ パリ公主はこの功績により,あの世を管掌する神になる。

このようにまとめると,なんとも薄っぺらな印象になってしまうのは避けられない。王だけでなく王妃も病気になるとか,パリ公主は結婚相手や子供も連れて帰って来るといったバリエーションもあるようだ。あの世に留まっていた期間は,単純に考えれば20年以上になるかもしれない。だからといって神話的な面白さが薄れるわけではない。

☆ 『바리데기(パリテギ)』

このパリ公主の説話を下敷きにした黃晳暎の小説『바리데기(パリテギ)』(창비)をだいぶ前に読み,その後日本語訳も読んだ。主人公は「北韓」淸津(청진 チョンジン)で7人姉妹の末っ子として生まれ,生まれてすぐに捨てられる。これがパリ公主の身の上と類似することから「パリ」と名付けられる。ハルモニもムーダンであるためか,霊魂などとも会話をすることのできる不思議な能力を持っている。

「北韓」の洪水・飢饉などもあって一家はバラバラになる。脱北して一人ぽっちになったパリは,延吉(연길 ヨンギル)でフットマッサージの技術を教えてもらう。そして大連に渡ることになるが,トラブルに巻き込まれて蛇頭の手によって密航船でロンドンに送られる。この船中での阿鼻叫喚を描いた部分が圧巻だ。

悪霊が自分の肉体を切り刻み,その肉を食べている場面をパリの魂が眺めている。そして死んだハルモニが現れ,バラバラになった骨を集めてくれてどうにか元の肉体に戻る。心理学で防御機制と呼ぶのかもしれないが,船中での体験をこのような形で描写する作者の想像力と力量には舌を巻く。この部分だけでこの小説を読んだ値打ちはあった。

それに比べると,ロンドンで暮らすようになってからの後半は,パキスタン人との結婚,9・11同時多発テロとそれに続くアフガン攻撃,グアンタナモ収容所の話へと繋がっていくが,前半に比べると盛り上がりに欠けるという印象だ。船戸与一であれば,ディテールの正確さでリアリティーを持たせようとするが,黃晳暎はそれぞれの事件を物語の流れに利用するにとどまっている。

パリが自分の娘が死んだ痛手でほとんど食事もできない状態のときに,ハルモニのアドバイスで「生命水」を求めに行くのが後半の山場だ。この幻想の場面には何か違和感が付き纏う。パリ公主には父の病気を治すためという大儀名分があったのに対して,パリの場合は自分自身が立ち直るためだけという印象が強いため説得力に欠ける。しかも生命水に辿り着くまでの各場面は,映像的にできの悪いテレビゲームを見ているようだ。荒唐無稽な面白さという点だけで比べるなら,筒井康隆の『七瀬三部作』に軍配を上げたくなる。

最後はロンドン同時爆破事件の場面で終る。はじめ韓国語で読んだときは一瞬身ごもっていた二人目を流産するのかと思ったが,日本語版も読み合わせると,もっといろいろなメッセージを伝えたかったのかと考えさせられた。

パリ公主の説話をそのままなぞる必要は全くないが,何か接木がうまく機能していないように感じる。フォークナーの「ヨクナパトーファ」,大江健三郎の「四国の森」,中上健次の「路地」などを考えれば,空間的に狭い場所から出て世界と繋がらなくても文学的に十分価値を持たせることはできるはずだから。

そうすると,韓国的であると同時に世界的にも通用することを目指すときに,具体的に世界史的事件と結びつける必然性があるのだろうかという素朴な疑問が残る。この小説の方向性には,黃晳暎の問題発言と共通するものがあると思える。したがって,問題発言を批判するのであれば,この小説も含めて彼の作品世界をあらためて分析する必要があるのではなかろうか。

中国(漢族)ほどではないにしても,日本に劣らず「井の中の蛙」が多そうな韓国で,ノーベル賞に最も近いと目される黃晳暎のグローバルな視点で書かれた作品ということに心をくすぐられた読者の側も,同時に検証されることが不可避であろう。

日本語訳については次回。

2009年6月22日 (月)

チェクポルレ⑭ 黃晳暎Ⅰ

☆ 記者懇談

5月中旬に,李明博(이명박 イ・ミョンバク)大統領の中央アジア歴訪に特別随行員として小説家・黃晳暎(황석영 ファン・ソギョン)が同行し,その時の記者懇談での発言を巡って韓国では大騒ぎとなった。日本では,韓国新聞の日本語版を除いて全く報道されず,こういうところにも日本人の韓国(朝鮮半島)に対する関心の持ち方の一面性が感じられる。

さて,その懇談の全文は正確な形のものはないようで,色々な記事をつなぎ合わせて推測してみるしかない。一つは,李明博政権を「中道実用政権」と認め,大枠では賛同(동참=同參)すると言う発言。大統領選挙の時には李明博阻止を主張し,進歩陣営の大連立を呼びかけていたことから,特に進歩陣営からの反発が大きい。

「変節(변절)」,「裏切り(배신=背信)」という表現がもっとも多く,「転向(전향)」という単語はこういう場合には使われない。「名状しがたい失望」というのもあれば,「パーフォーマンス」とか「お笑い界デビュー」と揶揄するものまである。さらには,「広告塔」とか「立身揚名」という捉え方もあり,ノーベル賞欲しさの政権接近という皮肉っぽい見方まである。

もっと露骨な罵詈雑言の類もあるが,保守陣営からの反応は多くない。黃晳暎の過去の言動に対する警戒心が強いからなのか,諸手をあげて歓迎とはいかないようだ。

☆ 光州事態(광주사태)

そしてもう一つの発言「光州事態はわが国だけにあると思っていたが,70年代のサッチャー政権当時の英国でもデモ隊に発砲して30~40人が死亡し,フランスでも全く同様で,世界のどの国でもあったこと」であり,「このようなことがあって進歩する」に対しては,猛烈な反発があるようだ。

そもそも1980年5月の民衆抗争は「5・18光州民主化運動」が正式名称になっているはずだ。李明博はこれを相変わらず「光州事態」と呼び,「釜馬民衆抗争」も「釜馬事態」と呼ぶようだが,黃晳暎も同じ表現を使っているのは信じ難い。『死を超え時代の暗闇を超えて(죽음을 넘어, 시대의 어둠을 넘어)』(日本語タイトル『全記録 光州蜂起』)の著者である人間がだ。

「光州騒擾事態」あるいは「光州事態」という表現は,不純分子たちの体制転覆を企図した事態という価値判断の入ったもので,武力鎮圧を図った戒厳軍が使ったものであり,この表現を使うかどうかがリトマス紙のようになっている感がある。

全体として黃晳暎の発言は,部分的な真理とそれをはるかに上回る舌足らずさが目立つ。その後ハンギョレ紙上で弁明をしているようだが,文学で飯を食う人間である以上一度発した言葉の重みを充分分かっているはずだから見苦しい。「非難を受ける覚悟はある」と大見得も切っていたのだから。

文部大臣になって正史に名を残そうと色目を使った江藤淳や,完全に政治の世界に逃げ込んでしまった石原慎太郎などには,文学の世界で落とし前をつけろというしかない。黃晳暎の場合は分断国家に身を置き,日本とは全く異なる政治風土ということも考慮に入るとはいえ,やはり文学の土俵で勝負して欲しいものだ。

2009年4月 6日 (月)

チェクポルレ⑬ 光州Ⅴその2

☆ 5.18光州民主化運動

プロローグで,十数年前からずっと悩まされている悪夢で目が覚め,汗びっしょりという描写などは,船戸与一のパクリかと思えるほど陳腐だ。目指しているものがエンターテインメントであろうと純文学であろうと,陳腐では致命的な弱点だろう。

その後の光州抗争の場面では,朴寛賢,尹詳源,金鍾培,金昌吉,許圭晶などの実在の人物が登場する。そして聖甫は学生収拾委員会の全南大代表5人の一人となっていて,公平は尹詳源のボディーガード役を任され,金鍾培の葬儀班に組み入れられる。聖甫の妹・珠姫は最も惨たらしい殺され方をして『五月の歌』のモチーフになったといわれる孫玉礼に擬せられている。その他有名な抗争の場面も取り入れられている。しかも公平は,尹詳源と聖甫が撃たれて死ぬ場面でも横にいたことになっている。

このように,各資料で描写されている抗争の進行の中にそれぞれの登場人物を嵌め込んでいて,まるで紙芝居のような展開である。そのため資料の各場面に記述のない部分を流れる時間の描写になると,とたんに密度が薄くなる。予備知識のない読者なら,よくここまで描けたと思うかもしれないが,鬼面人を驚かすの類だろう。ネタがばれてしまえばリアリティーが乏しいのに鼻白む。しかも,強制連行や浮島丸とおぼしき帰国船の沈没など,てんこ盛りの内容が余りにも話が出来過ぎの感がある。

☆ 「恨」と「恨プリ」

そもそも「恨(ハン)」は,日本人には極めて捉えにくい概念と思える。日本語の「恨み」とは異なると指摘され,田中明,古田博史,小倉紀蔵などを読んでもすっきり理解できたとはいい難い。粗野な野蛮人である日本人は敵討ちの形でS的に恨みを晴らそうとするのに対して,高尚な韓国人はひたすらM的に耐え,「恨プリ」によって更に精神的な高みに達すると主張したいのだろうと僻みっぽい捉え方で手を打っている代物だ。

さて,作者がこの小説で訴えたいものは何か? 聖甫を無理やりにでも日本に連れて帰ることができなくて,結局道庁の銃撃戦で死なせてしまう。それに対して公平は道庁で捕らえられるが,日本人だということから強制退去という形で生き残る。その生き残ったことの後ろめたさと,恋心を抱いた聖甫の妹が虐殺されたことに対する憤りを引きずってずっと苦しむ。これを「恨」と呼びたいのだろうか。民主化に向けて闘う韓国人の苦悩と比べれば,何と薄っぺらなと感じてしまう。「恨」が曖昧だから,「恨プリ」はさらに曖昧になって行く。
そうなってしまうと,この小説のテーマが根底から成り立たなくなるのではなかろか。

このように考えていくと,そもそも公平にとって光州抗争とは何だったのかが見えてこない。帯にもあるような「ふざけるな! 韓国人が韓国人殺して,どうすんだよ!」というような紋切り型の正義感の発露は,単なる傍観者から聞かされたくないだろう。それよりも,野次馬のような日本人がデモに加わり,火炎瓶を投げ,道庁の銃撃戦では銃を取り,戒厳軍の兵士を撃った可能性もある。そのような行動に走る充分な動機が不明である。
日本に帰国した後も,韓国の民主化運動に特別な関心を示したようには思えないし,友人たちの消息を知ろうと連絡を取ろうとしたふしもない。

☆ なぜ小説なのか?

光州抗争の現場に居合わせたという実体験を基にしているのなら,むしろノンフィクションとして発表すれば,それなりの価値があるように思う。その際,週刊誌的に「これが光州事件の真相だ! 日本人の衝撃の証言!」というようなセンセーショナルな売り方をする必要はないが,地道な資料を添えたものであればそれなりに評価されるだろう。今までのところ,日本人が現場に居合わせたという資料は発表されていないようだから。

また帰国後に,日本や韓国の公安による監視・尾行など具体的なものがあれば一層よい。つまりノンフィクションなら,悪夢にうなされるだけでは不十分で,嫌がらせ・脅迫・身の危険というような現実の記述がないことには成り立たない。韓国で軍に捕まったとき日本の記者が写真を撮ったことになっているから,実体験に基づくものであればその写真が極めて有力な証拠となる。その記者を探し出すことも困難ではないだろう。それよりも,行動を共にした韓国人の証言が得られるはずだ。
ただし,たとえ証明されたとしても,所詮韓国の民主化運動に寄与したわけでもないから,歴史的な重要さは限定的にとどまるだろう。

当時朝日新聞記者・斉藤忠臣と写真部記者・青井捷夫が現場で取材していたそうだ。そのときの模様は,斉藤の以下の講演で読むことができる。
http://homepage2.nifty.com/hikaku-kyoto/kousyuu_jiken080926.pdf

このままの小説という体裁では,考える材料は得られるものの,心を打つ作品とは言い難いという印象だ。むしろ,このブログで展開した疑問点や批判の妥当性を検証するために読んで,コメントを書いてもらえるのなら大歓迎。そういう意味でなら一読を勧める。

2009年4月 2日 (木)

チェクポルレ⑫ 光州Ⅴ

☆ 長井朝美『恨解(はんぷり)』(文芸社)

あの光州抗争の現場に日本人がいたという一見衝撃的な設定の小説である。どこまで事実に基づいているかはひとまず置いておく。フィクションと銘打っているから,たとえ全くの空想であろうと非難する理由にはならない。たとえば,山田風太郎の直系とも言える荒山徹の荒唐無稽さは,それも承知の上でのジャンルだから目くじらを立てることは全くない。

このブログでは,あらすじを紹介するというサービス精神は発揮しないことにしているが,今回は説明の都合上少しだけ触れることにする。
1979年,日本人の大学生・公平は,親元を離れて大阪で下宿している。同じアルバイトをしている光州出身の留学生・聖甫(성보 ソンボ)と知り合う。大学も同じだ。夏休みに聖甫が帰国している間に,その友人から韓国語を習い始める。
1980年5月,春休みに韓国に帰った聖甫が新学期になっても戻ってこないため,公平は観光ビザで光州へ行く。そして光州抗争に巻き込まれる。

☆ 疑問点
① タイトルについて
 まずタイトルだ。表紙は「恨解」と漢字書きで,右側にハングルで「한 풀이」,左側に平仮名で「はんぷり」とルビが振られている。背表紙では平仮名が上,ハングルが下になっている。
意味は「恨(한 ハン)」+「解く」という意味の動詞「풀다(プルダ)」の名詞形であり,「恨解き」と表されることも多い。まずこの「恨解」に違和感を覚えた。「解」という漢字を韓国語では「プリ」と発音(音読み)するのだと誤解を与えかねない。個人的な好みからいえば「恨プリ」かな。
目取真俊の作品集に『魂込め(まぶいぐみ)』(朝日新聞社)というのがある。この場合,「まぶい」という語が意味するものに「魂」という漢字をあてていることはうっすら分かるから,違和感の程度はこちらの方が弱い。韓国語の感嘆詞「アイゴー(아이고)」は漢字語ではなく,「哀号」は当て字に過ぎないことは比較的知られているかもしれないが,麗羅『山河哀号』(徳間文庫)となるとどちらを意識しているのか判断は難しい。

② 章立て
 4章に分けられているが,「1997年秋」はプロローグ,「1979年夏」は79年~80年の出来事,「1997年秋」に戻って,「1998年春」となるわけだが,1997年に設定した必然性が分からない。宋基淑の『光州の五月』も同じように1997年の現在と1979~1980年の出来事が絡み合って進行していく。しかしこの場合の1997年は,大統領選挙や全斗煥の赦免問題という必然性があるし,現在時に設定されている。『恨解』の場合は出版が2008年だから,あまりにも開きすぎていて必然性がなければ変だ。まさか『光州の五月』の体裁を拝借したわけではないだろう。
1980年当時幼かった秀賛(聖甫の友人東秀の息子)が,大学を出てサラリーマンになって日本にやってくるまでに経過した時間と,1998年に韓国へ一緒に行くことになる「長さん」の年齢(恐らく70歳以上と思われる)の設定の連立不等式しか理由を見出せない。

③ 主人公「公平」の語学力
 聖甫の友人に習い始めて1年にもならない公平が,光州で聖甫の通訳なしで話ができるのは驚く程の上達振りだ。しかも相手が大学生の場合は訛りの点がネックにはならないかも知れないが,市場のアジュンマとの会話や取り調べの場面での尋問・拷問の言葉まで聞き取れたのだろうか。それ以外にも,韓国語でやり取りしているとしか考えられない場面が多くあるが,聖甫に聞き返す場面の聞き取りの力から考えて,その語学力はかなり心許ない筈だ。
韓国語のカタカナ表記に何箇所か怪しげなところもあるが,それはあくまで作者の執筆時の韓国語の実力だろうから,登場人物の語学力とは無関係かもしれない。

④ 子供の名前 
 韓国での名前の付け方は,一族の何代目にどの文字を使うかが決まっていることが多い。これを行列字(항렬자 ハンニョルチャ)とか回し字(돌림자 トルリムチャ)と呼ぶ。従って,親の名前に因んで名付けるという方法は稀であるはずだ。金日成と金正日の場合,同じ「日」の字が使われているが,金日成の本名は金成柱らしいから問題はないかもしれない。金正日の3人の子供となると正男・正哲・正雲だから完全に従来の命名法を無視していることがはっきりしている。共和国では族譜(족보 チョクポ)もへったくれもないということなのだろう。
そうするとこの小説で,父親の名前が東秀(ドンス)で,その長男が秀賛(スチャン)次男がミンスと書かれているのが問題となる。ミンスの漢字が民秀ならまだ理解できるが,民主と表されている。これが誤記でなければ読み方はミンジュのはずだから明らかな勘違いと思われ,かなり混乱している。しかも,こういう名づけ方が,伝統的な命名法に合致しないことを承知の上で無視したということだろうか。弟については抗争後に誕生したから,怒りを込めて伝統を無視したと理解できるが,長男については説明できない。

(まだ終りそうにないから,一旦ここで切って続きは次回)

2009年3月18日 (水)

チェクポルレ⑪ コーヒーブレイク

☆ 雨宮処凛『怒りのソウル』(金曜日)

光州シリーズは少なくともあと1回残っているが,合い間に読んだ本を取り上げる。雨宮処凛の『怒りのソウル』だ。

円高・ウォン安で日本人観光客が韓国に押し寄せているようだ。一昨年ソウルにいた頃のちょうど2倍のレートだから,下宿していたコシテル(コシウォン=考試院+ホテル)の家賃も当時は高いなあと思ったが,今ならかなり安く感じるだろう。

この本で紹介されているのは,グルメ・エステ・ショッピングなどで訪れる韓国の顔とはまるで違っていて,生身の人間とその生活を見せてくれる。初めにろうそく集会(촛불집회)も,それを鎮圧する撒水車(살수차)の水大砲(물대포)も登場する。ムルデポの発音は水鉄砲と似ているが,そんなかわいらしい玩具ではない。

さて本文は,非正規雇用,ニート.スクォッティングアーティスト,研究者たちのコミューン,兵役拒否者など生活の匂いがぷんぷんする現場を訪れ,インタビューした報告である。このように韓国人のさまざまな姿を見ることができるのは,何よりも雨宮処凛の嗅覚の鋭さによるわけだが,通訳などのスタッフの誠実な仕事振りが寄与していることも伝わってくる。

日本のマスコミには韓国に関する情報が溢れているように見えるが,非常に偏りがあるという異常さを考えるとき,この本はその欲求不満を少しは解消してくれる。そういう意味で一読する値打ちはあるし,これを手がかりにさらに深入りするのもいいだろう。一つだけ気になるとしたら,変貌の激しい韓国社会のことだから,この手の本の賞味期限ということになるが,余計な心配はやめておこう。

☆ 時事ジャーナル事態(시사저널 사태)

雨宮も簡単に触れている事件を,少し見ておこう。「時事ジャーナル(시사저널)」の記者が,サムソングループの会長・李健煕(이건희 イ・ゴンヒ/イゴニ)に次ぐ№2の実力者であるイ・ハクス(이학수=李鶴洙)副会長に関する記事を掲載しようとした。それに対して同誌の社長が印刷直前に記事を独断で削除した。編集権の独立を主張してストを打ち,やがて記者たちは退社して「時事イン(시사IN)」を創刊することになる。

このような報道に対する露骨な介入は,もちろんとてつもなく強大な力を持つサムソンという組織の体質によるわけだ。それをサムソン共和国とかファシズムと表現する人もいるぐらいだから。このように書くと,日本人はともすれば韓国の民主主義の未成熟さという結論に短絡させたがるかも知れない。裏返せば,日本が民主主義の成熟した社会という根拠のない自信なんだろう。根拠がないことは,以下の歴史を見ればよく分かるはず。

☆ 日本における出版や報道に関する事件

1960年  中央公論に掲載された深沢七郎『風流夢譚(ふうりゅうゆめものがたり)』に右翼が抗議し,翌年大日本愛国党の元党員(17歳の少年)が中央公論社社長の嶋仲鵬二宅に押しかけ,家政婦を刺殺し夫人が重傷を負った「嶋中事件」。編集長が退社,社長名義で新聞に「お詫び」を掲載。深沢は1965年まで放浪生活。

1961年  大江健三郎が,前年の浅沼稲次郎刺殺犯である山口二矢(おとや)をモデルとして「文學界」に発表した『セブンティーン』第2部『政治少年死す』に右翼が激怒。文藝春秋新社は公式に謝罪し,その作品は現在まで公刊されていない。

1969年  藤原弘達による創価学会・公明党を批判した『創価学会を斬る』の出版予告に対して,公明党や田中角栄が圧力を加え,出版後も書店は創価学会系列の出版関係者や学会員などからの脅迫や嫌がらせを受けた「言論出版妨害」。当初,マスコミはこの問題を取り上げなかった。

1983年  桐山襲(きりやまかさね)の『パルチザン伝説』が『文藝』に掲載される。昭和天皇へのテロ計画を描いたものだったから,『週刊新潮』が暗に桐山の暗殺を煽動。右翼の要求で河出書房新社は単行本化を中止。その後,作品社から出版される。

これらは昔の話で,現在は言論の自由も保障されているし,マスコミも充分に機能していると信じる能天気さを持ちたいとは思う。しかし根が疑り深い性格だから,より陰湿になり,より自主規制が深く進行しているだけの話ではないのかと思ってしまう。民主主義の度合いは日本も韓国もちょぼちょぼと思って間違いないだろう。もちろん米国が手本になると言うつもりは毛頭ない。

2009年2月25日 (水)

チェクポルレ⑩ 光州Ⅳ

(『光州の五月』の続き)

☆ 攻守団,攻守隊

この本で,攻守団あるいは攻守隊員と訳されている単語は,ハングルでは공수(コンス)であり,漢字を当てれば「攻守」ともなるが,光州抗争というからには当然「空輸」すなわち空輸部隊なり空挺部隊と訳すところであるはずだ。原著が手に入らないので,はじめは次の2通りの可能性を考えた。

1つは,この作品はあくまでフィクションであるから,現実をなぞったものではないという意図的なものである可能性だ。例えば,大江健三郎が『洪水はわが魂に及び』を執筆中に連合赤軍事件が明るみに出て,それが酷似していたために原稿を破棄して全面的に書き改めたと記憶している。その結果,「自由航海団」という設定に改められた。本来は大江が現実の事件を題材にして書き進めたのではなくその逆だが,そう見られたくないということだったのだろう。個人的にはインパクトが弱められたと思っているが,これを大江の最高作品と見る人もいるようだ。

もう1つは,発禁処分なり圧力なりを警戒してカムフラージュとして敢えて採用した可能性だ。しかし,そんなへっぴり腰で書くとは到底考えられないし,民主化はそういう圧力を許さない程度には機能しているはずだ。これら2つの可能性は,あくまで原著が「攻守」という漢字表記をしているという前提があってのことであった。

結局,出版社に問い合わせて,訳者と電話で話をした。ここで訳者の主張を代弁して書くことは真意を損ねる危惧もあるから,やり取りの詳細には触れない。分かったことは,原著はハングルのみで漢字は一切ないが,「攻守」という訳語を採用することは著者も了解済みであるとの点だった。もちろん訳者も迷った末のことらしいが,訳者あとがきでは「空挺部隊」と表現しているのだから,その辺の事情を説明しておいて貰えばよかった。

何をそんなにこだわるかといえば,「攻守団」という言葉のイメージから,金九暗殺にも関係し,済州島4.3事件で悪名を馳せたあの「西北青年団」のような組織と誤解を招くのではと思えたからだ。そういう意味では,あくまで個人的なこだわりといえるかもしれない。

☆ 特別赦免(특별사면)

この小説では,光州抗争で虐殺された側と虐殺した側の苦悩だけでなく,武装鎮圧を命令した者の責任,そして最高裁で無期懲役が確定したにもかかわらず,地域感情解消ならびに国民和合の名の下に全斗煥を特赦したことを巡るさまざまな立場の考えが重層的に描かれている。

全斗煥は,1979年の12.12事態(粛軍クーデター)と1980年の5.18光州民主化運動鎮圧および隠し資産(비자금=秘資金)に対して,一審死刑の後減刑されて最高裁で無期懲役・追徴金2205億ウォンの判決が確定した。その後の特赦で釈放されたが,追徴金は約1673億ウォンが未納で,勲章の剥奪に対しても返納していない状態という。

本文から一部引用する。
--もはや,兵卒一人が問題ではなくなった。あのような命令を下した責任者をいつか必ずこの手で殺してやると,鉄パイプをギュッと握り締めた。
--安斗煕みたいに民族の指導者を殺害した奴とか,国民を虐殺して政権を簒奪した者は銃で殺さにゃ。

この特別赦免の論理は,日本の敗戦時の「一億総懺悔」論を思い出させる。ということは逆に言えば,日本でこの子供だましの割には幅を利かせている「一億総懺悔」に対しても示唆を与えてくれる。責任が均等に1億分の1であるはずがないから。

☆ 溺死(익사)者のクッと霊魂結婚式(영혼결혼식)

後半のかなりのページ数を,溺死者の魂を掬い上げるクッ(굿)と霊魂結婚式の描写が占めていて,最も興味を引かれたところだ。取り行うのはタンゴルと呼ばれる湖南地方(全羅南北道)の世襲ムーダン(巫堂)である。実際にどちらも現在でも行われているようだ。

例えば,後に「北」に拉致されたことが判明する全羅北道群山(군산 クンサン)の金英男(김영남 キム・ヨンナム)は,高校生であった当時,海水浴に出かけて行方不明になり,溺死したものと判断されクッを行って魂を慰めたという。

霊魂結婚式は,小松和彦によれば日本でも「冥婚」と呼ばれる習俗があるという(『日本魔界案内』,知恵の森文庫)。津軽の弘法寺では花嫁人形や花婿人形を死者の花嫁・花婿に見立てて奉納し,山形天童の若松寺では「むさかり絵馬」を奉納する風習が残っているようだ。

それに対して韓国では,未婚の男女はこの世に未練--中でも先立つことで先祖の祭祀(제사 チェーサ=法事)を行えなくなることが大きいらしい--を残し,あの世へ行けずにさまよっていると考える。そのため生者に祟りをなすから,その霊魂を鎮めるために結婚させる。生前に面識がなくても両家が望めば可能らしい。これは現在でも珍しくはないようで,例えば5.18抗争のときの市民軍のスポークスマンで,道庁に残って戒厳軍の鎮圧のときに死亡した尹詳源(윤상원 ユン・サンウォン)と朴琪順(박기순 パク・キスン)の霊魂結婚式が挙行されている。

この小説では,その霊魂結婚が溺死という共通項以外は,「攻守団」の犠牲者と「攻守団」の将校(大尉)というそれこそ仇敵同士だ。式の当日も反発する住民がどなり込んで来る場面もある。その言い分を引用する。
--いくら霊魂同士の婚事ちゅうても,嫁にやるところがのうて,何が悲しゅうて,よりによって攻守団の奴に嫁がせるとね?
このような想いを持ちつつも,次ぎのような祈りも共有されているようだ。
--あなた(攻守団将校)も光州の誰にも劣らぬ被害者でした。成仏してください。光州抗争の真実も必ず明るみになって,犠牲者すべての無念も晴れる時が必ず来ます。

このような民衆の日常に流れている時間の中で物語が展開されていく。抗争そのものや取調べの過酷な拷問,軍隊での射撃訓練のときのイップス状態など,臨場感のある描写だけでなく,その後の補償問題や執拗な監視など,読み進めるのが息苦しくなった。しかし,恋愛やサスペンスの要素も含んでいて読み応えがある。キム・ハギ(김하기=金河杞)の『完全なる再会(완전한 만남)』以来,久しぶりに中身の濃い小説に出会えた。

これで,映画『光州5.18(華麗なる休暇)』で感じた不満が埋められた。 

2009年2月17日 (火)

チェクポルレ⑨ 光州Ⅲ

☆ 宋基淑(송기숙 ソン・ギスク)

最近日本語訳が出版された『光州の五月(오월의 미소=五月の微笑)』(藤原書店)を取り上げる。宋基淑の名前を初めて目にしたのは,『全記録 光州蜂起』の5月22日の章に書かれているように,道庁で収拾対策委員会に対抗して作られた学生収拾委員会のメンバーとしてだった。

当時全南大教授であった彼は,光州民衆抗争の首謀者として逮捕され,1年間服役(1998年無罪確定)。その後,抗争に参与した700名あまりと会い,口述を収集・整理する作業に携わる。そして,事件の意味を問う小説を書くきっかけとなったのが,朴琦緖(박기서 パク・キソ)による安斗煕の処罰であったという。このことに強く興味を引かれた。

☆ 金九暗殺実行犯安斗煕

1949年6月26日  陸軍砲兵少尉安斗煕(안두희 アン・ドゥヒ)が白凡(백범)金九(김구 キム・グ)を暗殺。
      8月 5日  終身刑宣告
          11月        陸軍総参謀長の上申により懲役15年に減刑,服役
1950年6月27日  6・25(朝鮮戦争)により刑執行停止,仮釈放
      7月10日  原隊復帰(少尉)
1952年2月15日  刑免除

1950年代から,權重熙(권중희 クォン・ジュンヒ)は,安斗煕に対する処罰が不十分であると政府に嘆願し続けるが成果を出せなかった。1982年から,直接追跡し1987年3月26日暴行を加える。そして,暗殺当時の大統領李承晩からの直接指示を受けたと言う証言を公開(安斗煕はその後否定)。
この權重熙の著書『歴史の審判には時効がない(역사의 심판에는 시호가 없다)』にも影響を受けた朴琦緖が1996年10月23日,安斗煕を殺害。
朴琦緖は実行に当たっての覚悟を「見利思義 見危授命(견리사의 견위수명)」と記したそうだ。このインタビュー記事は胸を打つ。 

この経緯を調べていて真っ先に思い浮かべたのは,皇居パチンコ事件の奥崎謙三(『ヤマザキ天皇を撃て』)であった。序でながら,この奥崎謙三を撮ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて,神軍』(監督原一男)は,今までに見た映画の中で韓国映画に限定せずにベストテンを選べば3本の指に入ると思っているものだ。

☆ 「五月の歌」

現在も歌い継がれている『五月の歌』が,この小説にも登場する。その歌詞は次の通りで,韓国語も併せて紹介しておこう。真鍋祐子の『光州事件で読む現代韓国』によれば,3番まであるらしい。

花びらのごとく,クムナム路に砕かれ散った君の赤い血。
豆腐みたいに切り裂かれた 愛しい君の乳房。
五月,その日が来れば我らが胸に 赤い血潮がたぎる。

なぜ突き刺した。なぜ撃った。トラックに載せ,どこへ運んだ。
望月洞(マンウォルドン)にはしっかり見開いた,数千の血に染まった目が埋まってる。
五月,その日が来れば我らが胸に 赤い血潮がたぎる。

꽃잎처럼 금남로에 뿌려진 너의 붉은 피
두부처럼 잘리어진 어엿쁜 너의 젖가슴
오월!! 그날이 다시오면 우리 가슴에 붉은 피 솟네.

왜 쏘았지 왜 찔렀지 트럭에 실려 어디갔지
망월동에 부릅뜬눈 수천의 핏발 서려있네
오월!! 그날이 다시오면 우리 가슴에 붉은 피 솟네.

(今回は書きかけで,次回に続きます)

2009年1月26日 (月)

チェクポルレ⑧ 光州Ⅱ

☆ 木村幹『韓国現代史』(中公新書)

1948年から2008年までの60年間に,韓国で大統領に就任した人物は10人いる。
李承晩(이승만 イ・スンマン),尹潽善(윤보선 ユン・ボソン),朴正熙(박정희 パク・チョンヒ),崔圭夏(최규하 チェ・ギュハ),全斗煥(전두환 チョン・ドゥファン),盧泰愚(노태우 ノ・テウ),金泳三(김영삼 キム・ヨンサム),金大中(김대중 キム・デジュン),盧武鉉(노무현 ノ・ムヒョン),李明博(이명박 イ・ミョンバク)である。

このうち,崔圭夏・全斗煥・盧泰愚の3人を除く人々が,それぞれの時代のターニングポイントでどこでどのように生きていたかという視点でまとめられている。面白い手法であり,縦糸と横糸の絡まり具合が整理されて,韓国の政治の流れを理解するのに役立つ。また,離合集散の激しい韓国の政党変遷図や,憲法制度の変遷が巻末に添えられているのも,資料として参考にするのに手ごろなものとなっている。

ここまでだけなら,上記の3人に触れずに画竜点睛を欠く奇異さが目立つとはいえ,暗い部分に全く触れない点も含めて,それが著者の立場からくる意図的なものと思えば納得がいく。別に珍しいことではないから。ところが「あとがき」を読むと,俄然印象が変わる。

☆ 「あとがき」

上記3人特に全斗煥と盧泰愚は,5・18と韓国の民主化運動とにモロに関係するから,これを避けて通っていることは,「光州事件(著者はこのようにしか呼ばない)」の真相を知りたいわれわれ読者にはもどかしい。それではその理由をどのように書いているか?

「三名の大統領について取り上げることができなかった」のは,「客観的で詳細な研究がなされておらず,資料的制約が大きかったことが最大の原因」としている。また,「民主化以後の状況について,詳述できなかった」のも「主として,客観的資料の不備によるもの」であるらしい。

そのように肝心な部分に頬かむりする「不完全さがある」と自覚しているのなら,資料が揃うまで出版しないという選択肢もあるはずだ。それを敢えて見切り発車の形で出版する以上,単なる言い訳としか受け取れない。あるいは,乏しい(?)資料からでも現時点で可能な推論をするような危ない橋は渡らない自己保身かも知れない。いずれにしても,本人が示したいこととは裏腹に,フェアとは言い難い。それどころか,確信犯的で極めて悪質とも言える。

「事件」の真相がはっきりすることを望まない人間がいて,もちろんそれは一人ではなくそれを支持する構造があり,和合と言う名分による恩赦を歓迎する国民もいる。その辺にスポットを当てて記述する蓄積・情報・力量はあるはずなのに伏せておくのは,資料の不足というのも所詮は著者に都合のいい資料の不足ではないのかと絡みたくなる程だ。

何年か先に資料が出揃ったと著者が判断した段階で,この続編が書かれるのを待つしかないのだろう。「あとがき」が,単なる学問的公平さを装ったポーズに過ぎず,忘れっぽい日本人の特性を期待してとりあえず批判を切り抜けておこうという考えからでない限り,それぐらいの責任は果たすべきだと思う。

2009年1月23日 (金)

チェクポルレ⑦ 光州Ⅰ

☆ 光州(광주 クァンジュ)へ

ソウルで語学院に通っていたとき,夏学期の期末試験と修了式を放棄して光州に出かけた。ビザの期限と家庭の事情で,終ってからのんびり旅行することが無理だったから,そういう手に出るしかなかった。修了証書が欲しくて留学したわけではなかったから,別に残念さは全くなかった。

所詮,動機の大部分は単なる野次馬根性にしろ,光州に実際に行くことの方が得るものがあるという判断だった。泊まったホテルが錦南路(금남로 クムナムノ)や旧道庁に近く,地名には馴染みがあった。『全記録 光州蜂起-虐殺と民衆抗争の十日間-』(柘植書房)を20年以上前に読み,何度か読み返していたから。

早速,国立5・18民主墓地へ出かけたが,総合バスターミナル(유・스퀘어=U・squareというのが別称らしい)から出ているバスの番号も518だった。最寄のバス停で降りて少し歩いて辿り着くのだが,「巡礼」の季節ではなかった所為か人影もまばらで,数人を集めて入り口で簡単な説明があった。

被害者2000人説が頭の片隅にあった所為か,墓地はなんとなく想像していたよりは狭いように思えた。それでも,約200名の墓碑が並んでいる光景は,言葉を失うものであった。実際には死者600名という数字をよく見かけるから,犠牲者の数をどう算定しているのか分からなかった。しかし,いずれにせよ虐殺には違いない。望月洞(망월동 マンウォルドン)の旧墓域をそっくり移したのではないようだった。

それから,写真や資料の展示・『韓国民衆版画集』で強く印象に残っている洪性譚(홍성담 ホン・ソンダム)らの版画を見たくて5・18記念公園へ出かけた。思ったような展示はなかったが,ガードマンらしき人に5・18記念財団に案内してもらった。そしてそこで,いろいろ話を聞くことができた。しかも,非売品である『We Saw』という大部な写真集と,体験者へのインタビューと当時のフィルムで構成された『記憶を記憶しろ』というCDをもらった。これら2点には,映画『光州5・18(화려한 휴가 華麗なる休暇)』よりむしろ事実を訴えかける強さがあり,足を運んだ値打ちがあった。

☆ 学び直す歴史--人のためではなく自分のために--Part Ⅱ

1980年5月18日から27日まで,全羅南道光州の市民たちが立ち上がった一連の事件は,「5・18光州民主化運動(오일팔민주화운동)」が公式名称となっている。「光州事態(광주사태)」には「不純分子たちの体制転覆を企図した事態」という価値判断が入っているから,現在では一部でしか使われない。「光州(民衆)抗争」は使われている。

ここで,韓国の民主化運動の流れをメモしておく。重要度を判別するのは手に余るから,資料等でよくお目にかかるものを中心に選んだ。参考にしたのは,以下の3冊。
真鍋祐子『光州事件で読む現代韓国』(平凡社)
韓国民衆史研究会編著『韓国民衆史・現代篇』(木犀社)
木村幹『韓国現代史』(中公新書)

1960年 4月19日  四・一九革命(四月革命)
       4月27日  李承晩,大統領退陣
1961年 5月16日  軍事クーデター,朴正煕ら実権掌握し軍政に突入
1963年12月17日  朴正煕,大統領に就任
1971年11月13日  全泰壹,平和市場前で焼身自殺(勤労基準法遵守を主張)
1972年10月17日  特別宣言発表,非常戒厳令宣布=維新クーデター
      12月27日  維新憲法公布
1975年 5月13日  緊急措置第9号宣布
1979年10月18日  釜馬事態
            10月26日  朴正煕大統領,中央情報部長金載圭により弑害(시해)[暗殺]さる
            12月12日  全斗煥ら,粛軍クーデター
1980年 5月17日  非常戒厳令全国拡大
             5月18日  光州の戒厳令反対運動に対して,空挺部隊投入。武力鎮圧開始(第一次作戦名「華麗なる休暇」)
             5月27日  戒厳軍・空挺隊により「暴徒掃討完了」--鎮圧側の報告
1982年 3月18日  釜山米文化院放火事件
1985年 5月23日  ソウル米文化院占拠・籠城事件
1987年 6月10日~ 六月民主抗争(朴鐘哲拷問致死事件隠蔽)
1987年 6月29日  六・ニ九民主化宣言(大統領直接選挙制への改憲など)
1996年 8月26日  全斗煥元大統領に死刑宣告(ソウル地裁)→無期に減刑(高裁)→無期確定(最高裁)→金泳三大統領の特別赦免で釈放,盧泰愚前大統領は懲役22.5年→12年→赦免
※ 12・12粛軍クーデターに関する反乱罪,5・18光州事件に関する内乱罪,受賂[収賄]罪

      

2008年11月23日 (日)

チェクポルレ⑥ 金素雲-続続報-

☆ 『こころの壁』からの抜粋

--日本の悪口をいうことが〈愛国〉だと勘違いしている連中が韓国にもワンサいる。
--日本の未来を私は期待し,信じますが,但し,それは文化自体が見せかけでない,借物でない,もっと真実な根を張ったときのことです。
--日本に最も欠けているもの,それは民族の徳性--,相手を理解するための謙虚な努力である。
--声を大にして叫ぶものだけが愛国者ということになっている--。これが今日の大韓民国における〈愛国〉の相場である。
--(懐かしい日本の皆さん。) このなつかしさと,この憎しみと--。
--日本の〈悪〉を挙げよとなれば,私は韓国のいかなる志士,いかなる速成愛国者にも譲らぬつもりです。同時に,日本の〈善〉を語るにも,敢えて人後に落ちようとは思いません。
--郷土への思慕は私にとって一つの〈宗教〉であった。
--私の後ろには祖国がある。
--日本が憎かろうが,韓国がいやだろうが,お互い引越しはできない宿命なんです。

☆ 『霧が晴れる日』からの抜粋

--朝鮮人が井戸に毒を投じたと言えば,いつなんどきでも竹槍や鳶口を持出す勇気も備えている。その点では上下一致,まことに気の揃うのが日本人の特性である。
--ところが日本という国は韓国に目を向けていない。都合のいいことには利用したい。都合の悪いことには係わりを持ちたくない・・・。極端に言えばこれが一般の日本人に浸透している気持ちなのです。
--もっと謙虚に,まっとうな目で隣人を正視してほしい・・・。
--しかも動乱の惨禍によって,兄弟相食み,憎悪は骨髄に徹している。
--(両断の歴史的)責任は飽くまで「彼ら」にあり,朝鮮民族自身にないことを主張せねばならない。
--一瞬といえども私の念頭から郷土が離れることはなかったが,その郷土はいうならば薄情な恋人のようなものである。
--日本の原爆記念碑の前で涙ぐんだと聞いたら,私の祖国の人たちは親日派金素雲のやりそうなことだとせせら笑うかもしれない。申すもはばかりながら,私はそんなケチな「親日屋」ではない。

☆ ボディーブロー

金素雲が,日本および祖国に関して書いた文を中心に抜粋してみた。これら2冊の本そのものの出版は81年であるが,上の文章が発表されたのは大部分が51年~56年である。なんと50年以上前のものだ。そのことを考えると,全く色褪せていないことに驚かされる。

逆に言えば,日本と韓国の状況は根本のところでは大きくは変わっていないといえることになろうか。確かに,「韓流」のお陰で以前なら考えられなかった様変わりは起きている。しかし,マイナス側に振れていた針がゼロを指すところまで来て,プラス側に振れるにはまだまだこれからという気がする。ゼロにまで振らせたのは,部分的にはペ・ヨンジュンの功績といえるかもしれないし,それを過小評価しようとは思わない。しかし同時に,過大評価して極めて楽観的になる気分にはなれない。

軽い小手先のパンチは今までもあったし,そういう比喩なら「韓流」は手数の多いパンチといえるが,金素雲のような重いパンチ,ずっしり効くボディーブローこそ日本人には必要ではないだろうか。

断るまでもなく,金素雲の発言を全面的に受け入れるのではない。特に,「曾(かつ)て他民族を侵略したことなく,・・・この柔順羊の如き民・・・」などには大いに疑問符をつけたい。それでも次の文などは,ずっと韓国にこだわってきた胸のつかえの急所が突き止められた感じ。

--如何な名訳をもってしても,韓国の詩や民謡をその語感の持ち味通りに訳出することはできない。音感や語感の上に半音階のズレがあるからである。そして,この半音階の食い違いは,二つの民族の生活感情にもそのままに適用する。喜怒哀楽のすべてに,この食い違いは従(つ)いてまわるのである。

2008年10月27日 (月)

チェクポルレ⑤ 金素雲-続報-

☆ エッセイを読む

エッセイというジャンルの中で,苦手なものがある。親友(日本人)が,법정(ポプチョン=法頂)の『무소유(無所有)』が良いと言ったので,韓国へ行ったとき早速買って読み始めたが,数ページで投げ出してしまった。静謐なものが性に合わないのかもしれない。

それに比べると,金素雲の『こころの壁』『霧が晴れる日』は面白い。それだけきな臭いということか。以前に読んだときよりも濃く印象に残る。この2冊は,以前に出版されたエッセイを編集したもののようだが,専門家ではないから原典に当たることはせずに,この2冊から抜粋していくことになる(次回から?)。

それにしても,なかなか本題に入れず外堀を埋めている感じなのは,それだけ一筋縄ではいかない相手だということになる。

☆ 大韓民国文化勲章(문화훈장)

韓国の文化勲章は5等級に分けられていて,それぞれ金冠(금관)・銀冠(은관)・寶【宝】冠(보관)・玉冠(옥관)・花冠(화관)と称される。

最近,ペ・ヨンジュン(배용준=裵勇俊)が受賞して話題になっているのは花冠であり,サムルノリのチャンゴ奏者であるキム・ドクス(김덕수=金德洙)が銀冠,ファッションデザイナーのアンドレ・キムが宝冠であった。

過去の受賞者としては,イム・グォンテク監督とシン・サンオク監督が金冠,パク・チャヌク監督とイ・チャンドン(이창동=李滄東)監督が寶冠,カンヌ映画祭主演女優賞のチョン・ドヨン(전도연=全度硏)が玉冠を受賞しているそうだ。

このうちイム・グォンテク,シン・サンオク,パク・チャヌクには既に触れているが,イ・チャンドンはどういうわけかこのブログ初登場。『グリーンフィッシュ(초록 물고기)』『ペパーミント・キャンディー(박하사탕)』『オアシス(오아시스)』『シークレット・サンシャイン(밀양=密陽)』等の秀作を撮っている。この中では,『密陽』が一番つまらない。というか,チョン・ドヨンの熱演が却って鼻につく。閑話休題。

金素雲も1980年に銀冠文化勲章を受章している(年譜で1974年としているものがある)。今回のペ・ヨンジュンの受賞報道で金素雲に触れているものは見当たらなかった。そんなものか。

☆ 親日派(친일파 チニルパ)

2005年に民族問題研究所が発表した「親日人名辞典」収録予定者3090名の文化芸術の項目に,金素雲が含まれている。ほかにも『故郷の春(고향의 봄)』や『鳳仙花(봉숭아)』等の作曲家として知られている洪蘭坡(홍난파 ホン・ナンパ)もリストに挙がっている。その後2008年にリストは更新されて4776名になっている。

民族問題研究所による「親日派」の規定は次の通り。
「乙巳条約(※)前後から1945年8月15日の解放に至るまで,日本帝国主義の国権侵奪・植民統治・侵略戦争に積極的に協力することで,我が民族あるいは他民族に身体的・物理的・精神的に即ち間接的に被害を与えた者」
※ 1905年日本が朝鮮の外交権を奪い,保護国とした。

幼い頃に,職業柄日本人との接触が多かった父親が親日派として同胞に暗殺された金素雲としては,「てやんでぇ」と啖呵をきるところだろう。実際,次のように記している。

--日本こそは倶(とも)に天を戴かざるの仇敵でなければならなかった。
--間接には父を喪わしめ・・・直接には国を滅ぼしたその憎むべき相手は他ならぬ日本であった。
--私の日本についての理解や関心が,そんじょそこいらの御都合のよい〈親日屋〉のそれと,同格に扱われては浮ばれない・・・。

存命であれば,このような安易なレッテル貼りは腸が煮えくり返る思い・無念さ・悲しみ等の入り混じった気持ちになったのではなかろうか。

ある小学生が,金素雲の作品が教科書に掲載されているのはおかしいのではないかという主旨の投書をしている。しかもその投稿本文では,「キム・ソウォン(김소원)」となっている。韓国での評価が及び腰である点や,日本での知名度とのギャップの大きさなど考えさせられる点は多い。

「親日派」の問題は,韓国人が解決するしかないが,未だにこんなことで揉めているのかとせせら笑うわけにはいかないし,これを対岸の火事で済ませることもできない。日本における「戦争責任」の問題は,それどころか何も解決しないままの宙ぶらりんの印象が強いのだから。

2008年9月29日 (月)

チェクポルレ④ 金素雲-速報-

☆ 金素雲訳編『朝鮮詩集』(岩波文庫)

前回(チェクポルレ③)は,金素月の『つつじの花』がメインであったが,その際岩波文庫版『朝鮮詩集』を読み返してみた。そして,白石(백석 ペク・ソク)の『狐谷の種族(여우난 곬족)』が印象に残った。

これは,坂本遼の詩集『たんぽぽ』や片岡文雄の『イヌノフグリ』或いは高木恭造の『まるめろ』等を好む傾向と通底するのだろう。

☆ 金素雲のエッセイ

いま手許にある金素雲のエッセイ集は次の3冊。
『こころの壁』(サイマル出版会)
『霧が晴れる日』(サイマル出版会)
『天の涯に生くるとも』(新潮社)

これらを読み返しているが,じっくり取り組むことになりそうなので,とりあえず現時点で強烈に印象に残った文を少し長いが引用しておく。

-- 安倍能成氏や,浅川伯教氏や,或は柳宗悦氏たちのように,朝鮮を愛し知ることに於て自他共に許す博識の人はたくさんいます。しかしながら彼らは朝鮮の風物を愛し,陶磁器や建築を愛しても,生きた人間の歴史を愛したわけではありません。私の同胞の中にも,いまもってこれらの人々の朝鮮への愛情を信じ,心からの尊敬を寄せている人がいます。嗤(わら)うべき錯覚というものです。--

このように歯に衣着せず言い放つところが,金素雲の真骨頂といえよう。問題は,日本人の立場でこれらの人々をどのように評価するかというときに,このような視点が入ってくるのかという点だろう。時代的な制約という言い訳に寄りかかって,せめて一部でも良質な人間がいたと縋り付きたいのが人情ではあるが,それも承知で冷たく突き放す金素雲。

一つ気になるのは,伯教の弟である淺川巧が含まれていないことである。それほど重要な人物と思わなかったか,或いは「生きた人間の歴史を愛した」と認めて除外したのか。後者であれば,他の3人との違いは,朝鮮語を操れたかどうかがポイントの一つになるのかとも考えられるが,今後の課題としてボチボチ考えて行きたい。

☆ 淺川巧

昨年,忘憂里(망우리 マンウリ)共同墓地(공동묘지)にある淺川巧の墓を訪れた。この墓地にある唯一の日本人の墓だそうだ。火葬と土葬の違いも当然影響はしているだろうが,京都の大谷廟などとは全く趣が異なり,広々としている。ここには,『ニムの沈黙(님의 침묵)』の韓龍雲(한용운 ハン・ヨンウン)の墓などもあり,こういう所に出かけるのも収穫にはなった。

そして,淺川巧の墓碑には次のように記されている。

한국의 산과 민예를 사랑하고 한국인의 마음속에 살다간 일본인 여기 한국의 흙이 되다.   
(韓国の山と民芸を愛して韓国人の胸中に生きた日本人ここに韓国の土になる。)

淺川巧が研究の対象とした膳が,梨花女子大の博物館に収蔵されているとのことで,見学に行った。しかし,大学が改修工事中だったこともあるのか,全く跡形もなく無駄足だった。

2008年9月16日 (火)

チェクポルレ③ 『朝鮮詩集』

『チェクポルレ①-Ⅰ キム・スヨン』で触れた金素月の『つつじの花』が気になって,林容澤(임용택 イム・ヨンテク)の『金素雲『朝鮮詩集』の世界』を読み返してみた。著者の表現を借りれば,『朝鮮詩集』は〈いつ消滅させられるかもしれない被支配国の祖国の近代詩をあえて支配国の言葉で訳し,支配国で刊行したという,世界文学史上あまり例を見ない〉ものと位置づけられる。

この新書で『朝鮮詩集』と表されているのは,金素雲の4種の訳詩集の総称であって,特に岩波文庫版『朝鮮詩集』を指しているのではないようで,読む側は少し戸惑うことがある。

☆ 朝鮮語(韓国語)辞典

ずっと以前,長いブランクのもっと前に,朝鮮語を独学でかじり始めたことがあった。その当時,辞書としては養徳社の『現代朝鮮語辞典』という小型のものしかなかった。その次に手にしたのが,記憶が曖昧だが金素雲の『精解韓日辞典』(高麗書林)ではなかったかと思う。

金素雲の名前は,『ネギを植えた人』(岩波少年文庫)で知っていた。しかしこの辞典は,こちらの力がほんの初歩だったこともあり,ほとんど利用しなかったことは記憶している。その後,安田吉実・孫落範共編『韓日辞典』(民衆書林)を使うようになり,語彙数からもこちらは画期的に思えた。

☆ 金素雲(김소운 キム・ソウン)

金素雲の何冊かのエッセイを読んだのと,『朝鮮詩集』を読んだのとが,どちらが先であったのかも記憶がはっきりしない。『朝鮮詩集』については,上手いというよりむしろ上手すぎるという印象で,原作者より翻訳者である金素雲の匂いが強く現れているように感じた。

エッセイからは,日本に対しても韓国に対しても愛憎が極めて深く,当時の風潮とは異質だと思えた。しかしこの辺のことは,今後著作を読み返せば,また違ってくる可能性はある。

いずれにしても,骨太でしたたかで,あまり深入りしたくないなあというところだったようだ。

☆ 金素月(김소월 キム・ソウォル)『つつじの花(진달래꽃)』
  「jindallae.doc」をダウンロード   ※ 原詩の寧辺・薬山は,韓国の詩集ではハングルになっているようだ。また,-우- は -오- と表記され,分かち書きも一部異同がある。 
  ※※ 寧辺(영변 ヨンビョン,「北」では 녕변 ニョンビョン)はつつじの名所として有名だそうだが,核施設でしばしば登場する地名。

林容澤は,この詩に関しては金素雲訳を失敗作と断じている。金素雲訳と林容澤訳をそれぞれ引用しておくと次の通り。他に,『韓国現代詩集』(土曜美術社)の姜晶中訳もあるが,取り上げられていない。

(金素雲訳) 『岩つつじ』 
   どうで別れの/日が来たら/なんにもいはずと 送りましょ。
   寧辺薬山(ねいへんやくさん)/岩つつじ/摘んで お道に敷きませう。
   歩み歩みに/そのつゝじ/そつと踏まへて お行きなさい。
   どうで別れの/日が来たら/死んでも 涙は見せませぬ。

(林容澤訳) 『つつじ』
   わたしを見るのも疎ましくて/行かれるときは/黙って静かにお送りしましょう。
   寧辺の薬山の/つつじの花/一抱え摘んで行く手の道に撒きましょう。
   行かれる足ごと/置かれたその花を/そっと踏みしめお行きください。
   わたしを見るのも疎ましくて/行かれるときには/死んでも流しませぬ 涙は。

林は,この詩が〈別れを前にした主人公の,相手に向けた犠牲的な愛をテーマにして〉,〈建前としての昇華された諦念の美学〉と〈本音としての人間感情の微妙な葛藤を描〉いたものとして,韓国の伝統的美意識である〈「恨(한 ハン)」〉の絶叫を読み取っている。

これに対して,金素雲訳からは「恨」の心理が読み取れないとしているが,この分析は説得力がある。また,金素雲自身も失敗作と受け止めて,〈金素月の代表作としてのみでなく韓国近代詩の絶唱と名高い〉この『つつじの花』が岩波文庫版『朝鮮詩集』等から削除されているのだろうと推察しているが,そのことも充分納得がいく。

新書とはいえ,内容が極めて充実している労作だとあらためて感じた。そして,末尾の〈今度はぜひ日本人による金素雲論があらわれてほしい〉という指摘は鋭い。

   

2008年8月13日 (水)

チェクポルレ② 新書2冊プラスワン

☆ 新書2冊

少し前に,いずれも日本に十数年滞在している韓国人が書いた新書を2冊読んだ。滞在しているといっても観光ではないが,そうかといって本人が日本に永住すると考えているわけではなさそうなので,定住とはいいがたい。

一方は日本文化に理解を示し,韓国に対して批判的な視点も持つようになっているが,もう一方は韓国文化にどっぷり浸ってそこから抜け出そうとはしていない点で,韓国的といえば極めて韓国的で,対照的な2冊といえる。

☆ ヤン・テフン『僕は在日「新」一世』(平凡社新書)

著者ヤン・テフン(양태훈=梁泰勳)は,韓国のテレビ局と契約し,日本における取材・撮影の通訳・コーディネーターの仕事をしているニューカマーであるらしい。この本は,インタビューに答えるという形で日本語で語ったものをまとめたようだ。

韓国の学校生活や軍隊生活が,教育制度とか徴兵制といった大上段に振りかぶったものではなく,普通の人の視点で語られているのがいい。ベトナム戦争への韓国軍の派兵や,軍隊内でのいじめや自殺・事故死などにも触れていて,意外と語られていない話題を取り上げている。ただし,「犬死に」をケジュとグンに分けているのはいただけない。ケ(개 犬)+ジュグム(죽음 死ぬこと)だろう。

一代でのし上がった創業者の無能な息子が,仕事もほとんどせずに三角関係や四角関係にのめり込んでいる姿が韓国ドラマでしばしば見られる。それを韓国人の典型的な像と誤解する日本人は多くはいないだろうと思うが,この本は等身大の韓国人を素直にさらけ出している点に好感が持てる。

しかし,最後にこの本の「構成者」と紹介されている林信吾なる人物との対談で締めくくられているが,何でこんなものがしゃしゃり出てくるんだ? ページ数が埋まらなくて付け足しただけじゃないかと勘繰りたくなる。いいたい事があれば,韓国人をダシにせずに,自前の本を書け。といってもそんな本は金を出して買わないだろうけれど。

☆ 朴倧玄『韓国人を愛せますか?』(講談社+α新書)

パク・チョンヒョン(박종현 朴倧玄)が,発想・行動様式・生活習慣など日本と韓国の文化の違いを,さまざまな実例も挙げて,分析も加えている本である。「日本人に韓国の文化を理解させる使命」があるという著者の信念に従って書かれた本のようだ。

しかし,紹介されている内容にこれといって目新しさはないし,分析に深さもない。ただ,全面的な自己肯定すなわち韓国・韓国人の自慢話を延々と聞かされている感じしか持てない。

そもそも,「韓流」から韓国・韓国人に接近して,その後それを卒業(?)してより本格的に韓国文化を知りたいと考えるようになった日本人を読者として想定しているのだろうか? そうだとして,この本から得た知識で,「韓国人って~なんだ!」と思うほど日本人の知的水準は低いのだろうか?

韓国の文化や人間を知りたければ,韓国で或いは日本で韓国人と直に接して自分の肌で納得すればすむ問題だ。もちろん限られた範囲の人間としか知り合えないし,そこから韓国人一般がああだとかこうだとか結論を出す必要は全くない。気の合う人間もいれば,二度としゃべりたくない人間もいる。

著者が初めて日本に来たときに出会った親切な日本人のエピソードの紹介も,単にわざとらしく感じられるだけだし,あとがきで,「この本が,日本人読者にとってうまく韓国人と付き合うためのバイブルとして役に立てれば幸いに思う。」に至っては,呆れて言葉がない。編集者がおだてでもしたのだろうか。或いは本人が本気でそう信じ込んでいるのだろうか。まあ,これが韓国人だと理解するだけの値打ちはある。

著者に一言「日本人を愛せますか?」と聞いてみたいものだ。

☆ チョ・ヤンウク(조양욱 曺良旭)『일본 키워드 99(99 Japanese Key Words)』(다락원)

この本は,日本を理解するうえでのキーワードとなる99の項目を取り上げている。その切り口が斬新であるため,日本文化に対する辛辣さにはむしろ爽快さがある。ごく一部を日本人のライターが担当しているが,その単調さというか退屈さが逆に著者の面白さの証明になっている。全く(骨の髄までと表現したくなるほど)親日的ではないが,韓国人から見た日本文化という観点からすれば,それはこの本を評価するうえで当然妨げにはならない。

三者三様の韓国人の日本観を参考に,われわれ日本人が韓国観を構築すればよいし,強迫観念のように無理して「韓国人を愛」することもない。

2008年8月 3日 (日)

チェクポルレ①-Ⅱ 内山愚童

☆ 兵役拒否

パク・ノジャは,反米・反独裁・反差別・反戦・非暴力を基調としているが,良心的兵役拒否の文脈で内山愚童に言及している。良心的兵役拒否といえば,すぐにワッチタワー(ものみの塔)日本支部の灯台社を開いた明石順三を思い浮かべる。明石順三は1939年治安維持法で逮捕され,懲役12年の判決を受けるが,その直前には息子の明石真人と村本一生が良心的兵役拒否に対して軍法会議で懲役刑を言い渡されている。なお,順三の妻静榮は手当てらしい手当てを受けないまま獄死。

そのような宗教者の兵役拒否の源流として,曹洞宗の僧侶である内山愚童の反戦思想が取り上げられたものと思われる。ここで,内山愚童が連座して死刑に処された大逆事件の流れを簡単に見ておこう。

☆ 暗殺主義

1907(明治40)年11月に米国サンフランシスコの日本領事館に無政府暗殺党の「暗殺主義」と題するアジビラが貼り出された。その内容の一部は,次の通りである。

・・・睦仁君足下,あわれなる睦仁君足下,足下の命や旦夕にせまれり。爆裂弾は足下の周囲にありて,まさに破裂せんとしつつあり,さらば足下よ。

この内容に危機感を募らせた山縣有朋を黒幕とする政府は,根拠なしに幸徳秋水を首謀者と決め付け,社会主義者・無政府主義者の弾圧に乗り出す。

☆ 大逆事件

1908(明治41)年の赤旗事件で有罪判決を受けた大杉栄らの入獄記念に,内山愚童は『無政府共産』というパンフレットを秘密出版する。そしてこのパンフに触発されて,宮下太吉が爆裂弾を製造し,管野スガらと謀議したとして逮捕される(明科事件)。これを突破口として,文字通り網を広げに広げて幸徳秋水らの一網打尽を謀る。

旧刑法第2編第1章皇室ニ対スル罪
第73条
 天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子又ハ皇太孫ニ対シテ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス

26名を起訴して,1910(明治43)年12月10日公判開始,12月15日に24名に死刑求刑,翌年1月18日に24名全員に死刑,2名に有期懲役判決,翌19日に12名は「陛下の思召しにより」無期懲役に減刑。

1月24日11名死刑執行・・・幸徳秋水(伝次郎),森近運兵,宮下太吉,新村忠雄,古川力作,奥宮健之,大石誠之助,成石平四郎,松尾卯一太,新見卯一郎,内山愚童
1月25日1名死刑執行・・・・管野スガ(すが)

その後,1923年の大杉栄・伊藤野枝らの虐殺を併せて考えるとき,「押し付け憲法」「棚ぼた民主主義」をじっくり考える必要はあるし,韓国の民主化運動が日本よりはるかに遅れているという不遜な捉え方はできないだろう。

2008年7月19日 (土)

チェクポルレ①-Ⅰ キム・スヨン

☆ 新シリーズ

韓国語でチェク(책=冊)+ポルレ(벌레 虫)は,日本語と同じように「本の虫」を表す。このような表現は,「仕事の虫」(일벌레)とか「がり勉=勉強の虫」(공부벌레)などにも現れる。これを新シリーズのタイトルにして,日本語や韓国語で書かれた本を題材に,思ったことを書き連ねていく予定です。

☆ パク・ノジャ

韓国で,韓国文化特に食文化を手放しで礼賛すると,さもあろうという満足そうな顔をするが,韓国に対する提言・忠告・助言などには露骨にムッとするか,それを表に出さないように抑制するのに苦労をしているのがありありと分かる表情になるという経験は珍しくない。これを一般化して,韓国人はああだとかこうだとか決め付ける必要はまったくない。

しかしこのような経験をする韓国で,パク・ノジャ(박노자=朴露子)の歯に衣を着せない韓国批判を含む評論が何冊も出版され,愛読者がいるという事実は知っておきたい。もちろん毛嫌いする人もかなりいるらしい。

パク・ノジャはレニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれ育ち,後に韓国に帰化する。このことからも分かるとおり,その批判は韓国・韓国人を貶めるためのものではない。そして,その主張に快哉を叫ぶと,批判の矢はブーメランのように日本・日本人に向かってくる。

このパク・ノジャが,『당신들의 대한민국(あなた方の大韓民国) 01』『당신들의 대한민극 02』(한겨레출판)で言及しているうちで3人の人物が印象に残る。韓国の詩人キム・スヨン(김수영 金洙暎),大逆事件に連座して死刑となった内山愚童,パク・ノジャが日本の良心と表現している家永三郎である。キム・スヨンを以下に取り上げ,内山愚童は次回に書く予定。

☆ キム・スヨン

日本で比較的知られている韓国の詩人としてはキム・ジハ(김지하 金芝河)がいて,作品としてはユン・ドンジュ(윤동주 尹東柱)の『序詩(서시)』,ハン・ヨンウン(한용운 韓龍雲)の『ニムの沈黙(님의 친묵)』,イ・ユクサ(이육사 李陸史)の『青ぶどう(청포도)』,キム・ソウォル(김소월 金素月)の『つつじの花(진달래꽃)』などであろうか。

パク・ノジャは,キム・スヨンを20世紀の詩聖と絶賛している。その『草(풀)』の原詩と姜舜による日本語訳を載せておく。
「pul.doc」をダウンロード
「kusa.doc」をダウンロード 『金洙暎詩集 巨大な根』(梨花書房,1978年)より

ここで,草は人民,東風は抑圧者,泣いて伏すのは銃口・飯茶碗を前にした屈服というような説明は不要であろう。白戸三平の劇画で草原に身を隠しても強い雨風で敵の目に晒されるイメージでもよいし,黒田喜夫の『空想のゲリラ』と読み比べてみるのもよいだろう。

日本人として,こういう詩人が韓国にいて,こういう作品を残しているということを知っておくのも悪くない。