日本 vs. 韓国
☆ オリンピック・アジア大会のメダル獲得数
どんな分野であれ,日本と韓国が競い合う場面で,日本人にとっては競っているという意識が希薄でも,日本にだけは負けたくないと思う韓国人は極めて多いようだ。ひょっとすると,大半がそうだといえるのかもしれない。
オリンピックのメダル獲得数の合計は,1984年までは日本が圧倒的に優位であったが,1988年のソウルオリンピックで逆転し,その後2004年を除いて韓国の方が多い。韓国は6大会連続で国別ランキングの10位以内に入っている。
一方,アジア大会の金メダル獲得数を見ると,1978年までは日本がずっとトップであったが,1982年に中国・日本・韓国の順になり,1986年(これも開催地はソウル)以降6大会連続で中国・韓国・日本の順が続いている。
中国には敵わないという意識があるのか,日本にさえ勝てばそれでいいのか,このようなメダル獲得競争に関しては余裕を見せている。それ以外のサッカー・野球・囲碁なども,韓国のほうが実力上位と韓国人は捉えているだろう。
そのような韓国が日本に及ばずに,それこそ韓国人が歯軋りしそうなものに,ノーベル賞受賞者数とG7(G8)への参加がある。
☆ ノーベル賞
ノーベル賞受賞者は2008年を含めて,日本が15人(米国籍の南部陽一郎を除く)で,内訳は物理学賞6,化学賞5,医学・生理学賞1,文学賞2,平和賞1である。一方韓国は,2000年の金大中の平和賞1人だけである。しかも,韓国人はこの金大中の受賞に対して,それほど誇らしげではないような印象を受けることもある。平和賞は他の部門とは意味合いが違うと考えられているのも一因かもしれない。佐藤栄作の受賞に対する日本人の冷ややかな反応と比べるのはいささか不当だろうけれど。
ある韓国の新聞のコラムによると,韓国人の心情は次のようになるのだろうか。
--今年も韓国人受賞者がないまま,ノーベル賞の季節は過ぎた。韓国も今では,文学や科学の各分野で世界的に認められるようになったと感じているだけに,韓国人の失望は大きい。しかも日本人が3名も受賞したから,失望は一層大きくなる。最も近い国である日本と色々な面で均衡が築かれなければならない。(京郷新聞,要旨)
TVのニュース解説では,日本と韓国の基礎研究につぎ込む予算の差に言及していたが,日ごろ日本人の猿真似文化を嘲笑しているのと話が合わない。しかも,基礎研究の重要性というより,いかにしてノーベル賞受賞者を輩出するかに力点が置かれていて,何か本末転倒の感は否めない。
☆ G7(G8)
李明博(이명박)大統領の主要目標として「747成長公約」がある。これは,経済成長率7%・1人あたりのGDP(国内総生産)4万ドル・世界7位の経済大国を意味する。7位ということはロシアを除くG7を意識したものであろう。そしてこのような目標は国民に支持されていて,李明博人気に繋がったと考えられる。
韓国の現在の1人当たりのGDPは2万ドル程度で,日本が3万数千ドル程度だ。またGDPそのものは,日本が世界第3位,韓国が12位であり,この順位を1桁にしたいようで,順位が1つ上がったり下がったりするだけで韓国では話題になるようだ。G20の財務相会議の流れで,最近の金融サミット(G20緊急首脳会議)に参加したことで,韓国人はちょっぴり満足したのではなかろうか。
日本人はこういう順位や数字に弱いのか或いは無頓着なのか,知識を持たない人間がかなり多そうだ。だから韓国人が具体的な数字を挙げて話し始めると,敬意を表するよりはむしろ腰が引けてしまう。
以上見てきたことは,韓国人の根本にある儒教の強烈な上昇志向と体面重視が影響していると思える。ネズミ講(無限連鎖講)にたとえるのは不謹慎だけれど,エッシャーの「滝」や「上昇と下降」あるいはシェパードの無限音階を連想して危うさを感じる。
それにしても,韓国人の気質が「東洋のイタリア人」つまりラテン系民族の陽気さに譬えられて,韓国人の心がくすぐられているのが理解し難い。日本人の感覚では,陽気であれば順位なんぞ気にしないと思えるから。もっともイタリアも地方によってかなり異なるらしいし,一面的でなくても差し支えないわけではある。



























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