黄土
☆ オード色
小学生の頃,絵の具やクレヨンのオード色ということばの響に馴染めなかった。外来語のようでもあり,何なんだこれはという感じであった。実際に「おうどいろ」と表記されていたのか確認した記憶はない。まして辞書で確かめるということは,思いもよらないというより不可能であった。我が家には学校の教科書以外に,本と呼べるものは3冊しかなかったから。何年か前に出た「児童年鑑」と児童書「ロビンフッド」とあとの1冊は多分手塚治虫だったと思う。
ところがどういうわけか「嘔吐」という言葉を知っていたから,まさかゲロ色ではないだろうと思いつつも,イメージとしては影響されていたようだ。
☆ 黄土の道(황톳길 ファントッキル)
このようなもやもやが解消したのは,何年か後に金芝河(김지하 キム・ジハ)の詩集『長い暗闇の彼方に』に出合ったときだ。冒頭の「黄土の道」を見て,ようやくオード=黄土が腑に落ちた。といっても,関東ローム層とかシラス台地を連想し,それらよりは肥沃な土壌かなという程度のイメージではあった。今ならむしろ黄沙/黄砂を連想するだろう。
長くなるが渋谷仙太郎(萩原遼のペンネーム)の訳でその詩の一部を引用してみよう。
黄土の道にあざやかな
血潮の跡,血潮の跡にそって
私はゆく,父よ
あなたは逝き
いまは黒ぐろと陽のみ燃ゆるところ
両手に針金くいこみ
灼けつく陽ざしが
汗と涙と蕎麦(そば)畑に照りつけ
銃と刃(やいば)のもと,灼熱のなかに
私はゆく,父よ
あなたが死んだところ
プジュンモリ河口のほとり,ぼら跳ねるころ
莚(むしろ)に覆われてあなたが死んだところ
姜舜の訳「黄土のみち」(『キム・ジハ詩集 五賊 黄土 蜚語』)では,次の通りで,また違った雰囲気だ。
黄土のみちにまざまざと
血の跡,その血の跡について
わたしは行く,そなたよ
そなたが斃(たお)れ
いまは黒ぐろとひとり炎天が占めるところ
両手には鉄線
灼けつく陽ざしが
汗と涙と蕎麦(そば)畑を照りつけ
銃口と刃(やいば)のもと,炎天のなかを
わたしはひとり行く,そなたよ
扶州のほとりマボラ入江に跳ねるころ
叺(かます)のなかでそなたが息絶えたところ
「黄土の道」の原文はコチラ「hwangtokkil.doc」をダウンロード 。
素人の感想としては,渋谷仙太郎の訳の方が青臭さはあるものの憤怒や決意の持続が強く感じられのに対して,姜舜の方は丁寧に訳そうとする余りへっぴり腰の印象を受ける。
そして勝手なイメージとして,東学農民戦争を思い浮かべる。腐りきった閔氏政権を倒すために,全羅道から漢陽(現ソウル)へ攻め上ろうとしたその道だ。結局,公州で官軍と日本軍に阻まれることにはなる。
しかしこの志は,1980年の5.18光州民主化運動に受け継がれ,部分的にせよ結実したと思っている。
それにしても,東学農民軍の皆殺しを執拗に推し進めたのがまさに日本軍であったということは,日本・日本人を考える上で極めて重要だ。
☆ 黃土峴(황토현 ファントヒョン)
1894年の東学農民戦争(甲午農民戦争)の第一次蜂起の激戦地が,全羅北道井邑(정읍 チョンウプ)市の黃土峴であった([峴]は峠であり,재や고개と同義)。
ただしこの一帯に高い山はないから,峠という表現から受けるイメージとはあわない。
「東学農民革命記念館(동학농민혁명기념관)」へ行く道の曲がり角にこの碑は建てられている。
第二次蜂起の時の激戦地である忠淸南道(충청남도 チュンチョンナムド)公州城や牛金峙(우금치 ウグムチ)など,まだまだ訪ねてみたいところがある。そしてそれらを含めて,別のシリーズにまとめるのがこれからの仕事になりそうだ。














































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