チェクポルレⅡ⑧ 司馬遼太郎 vs. 荒山徹 (前)
☆ 司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』(文春文庫)
カバーの紹介文によれば,次の通りである。
--十六世紀末,朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。以来四百年,やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」。
少し補足すると,1592~1594年の文禄の役(임진왜란=壬辰倭亂)に続く1597~1598年の慶長の役(정유재란=丁酉再亂)において,島津義弘勢が南原の戦いで70余名の男女をつかまえた。最初から陶磁の工人を捕獲する意図であったと司馬は推察している。
その後日本に渡ってきて薩摩に定住した沈一族のうち,14代沈壽官(심수관 シム・スグァン)へのインタビューを骨組みとしたエッセイ風小説である。
ⅰ) 姓氏
司馬は,〈沈寿官氏の先祖は貴族であったことはたしかで,…〉としている。しかし身分制度が極めて厳しかった李朝で,沙器匠(사기장=陶磁器職人)や陶工(도공=素焼き職人)はその中でも特に下位に位置づけられていたはずだから,実際に陶磁器の製作に携わる工人であるなら,両班であったとは思えない。当然,姓氏はなく名前だけで呼ばれていただろう。さらに,「貴族」という言葉を目にするとどうしても反射的に立原正秋を思い浮かべてしまう。実際には両親共に朝鮮人であったにもかかわらず,父母とも日韓混血で父は李朝末期の貴族と自称していた。
このような点から,沈壽官の先祖についてもかなり疑わしい目で読み進めた。上垣外憲一『文禄・慶長の役』(講談社学術文庫)によれば,〈もっとも苗代川で焼き物を作った者が全員陶工だったわけでなく,儒生だったものが仲間になって焼いた例もあった〉らしい。そうすると,靑松沈氏(청송심씨)という話もまんざらハッタリではないのかもしれない。沈氏の先祖もはじめから沙器匠だったのではなく,何代目かから実作に携わるようになったとも考えられる。司馬の他の箇所の記述からはそのようには解釈できないけれど。
また司馬は,橘南谿が書き残した『西遊記』(1795年刊行)から引用している。〈はじめ捕らわれきたりし姓氏は十七氏。いはゆる伸,李,朴,卞,林,鄭,車,姜,陳,崔,盧,沈,金,白,丁,何,朱なり。〉 しかしこれは,渡って来た十七家族が当初から全員このように姓氏を名乗っていたことを意味するのではなく,200年ほど後にはこうなっていたということを示しているに過ぎないだろう。そうでなければ,実作者がいなかったことになる。司馬は李朝の身分制度を見落としているのかもしれない。
他の箇所で司馬は〈とにかく,朴,黄,羅,燕……といった連中はとらえられた。沈氏の先祖もいた。〉と書くが,十七氏以外の姓氏とのつながりは分からない。
ⅱ) 漂着
1598年秀吉の死後,和議が成立し島津勢も撤退する。このとき陶工たちを連れ帰ったのではないようだ。なぜなら,島津勢は博多湾に入っているのに対して,陶工たちは他のルートを通って漂着した。この点ではどの資料も一致しているようだが,司馬が〈漂着したのは,関ケ原ノ役の直後〉としているのに対して,上垣外は1598年に上陸したと記している。また漂着した場所についても,串木野島平以外の地名を挙げている資料もあり,どの説に与すればよいか分からない。70余名が同じ船で漂着したのではない可能性も考えられる。また当初,朴平意が主導したと思えるが沈氏との関係は明らかにされていない。
日本では捕虜の強制連行というニュアンスで語られ,現在の韓国では「拉致」という表現一色のように見える。自発的に渡ってきたケースがあったとは思えないが,朝鮮での身分制度の苦しさから逃れたという安堵感を日本で持った人間も一部にはいたかもしれない。後年(1607),李朝の回答兼刷還使(회답 겸 쇄환사)が徳川幕府に派遣される。これは国書による回答=謝罪と捕虜の送還を求めるものであった。上垣外によれば〈…約五千人が送還された。日本に連行された捕虜は二万から三万と見積もられている。約五分の一しか故国に帰ることができなかったのだ。〉
この作品は『고향은 어찌 잊으리오(故郷がどうして忘れられようか)』として韓国でも紹介されていて,血統というものに極端にこだわる韓国人にとっては心地よく,当然のように李朝の身分制度の苛酷さには目をつぶる。これに対する反発もあって,「強制連行」という言葉に敏感に反応する連中が,多数が帰国しなかったことで鬼の首でも取ったかのように司馬を自虐史観と批判する。それは一見妥当な批判のようには見える。しかしそのような批判も,所詮は全体像が見えていないか或いは見ようとしていないことからくる近視眼的批判に過ぎない。
嘗て吉本隆明が論争相手に投げつけた「小手に隙を見せれば小手を打ってくる猪口才さ」の類のようなものといえばいいか。実際には「小手に隙を見せているのに胴を打とうとする」類かもしれない。この作品の問題点はそんなところにあるわけではない。
ⅲ) エピソード①
この小説の重要なエピソードの一つが,14代沈壽官が中学入学時に受けた上級生による集団暴行事件である。〈上級生たちは新入生名簿によって韓姓の少年がいることを知った〉とあるが,他の箇所では〈…彼自身,のがれようのない国籍上の日本人であるからだった〉のなら,戸籍上の名前で通学していなかったことになる。まさか名跡「沈壽官」を用いたとは思えないから,沈○○とでもしていたのだろか。
実際には地元の研究者による証言では韓姓(※司馬は「韓人」「韓語」などの表現を使う)の生徒はいなかったようで,こちらの説のほうがかなり説得力がある。そうすると,父親(13代)の体験譚と混同したのでもあろうか。しかし常識的には自らの体験を混同することは有り得ないから,このエピソードは司馬か14代沈壽官のどちらかの創作ということになる。もし14代沈壽官の創作なら,この小説自体が成立しないのではないだろうか。これは検証可能な事柄と思えるから,有無を言わせぬ研究結果を是非知りたい。
ⅳ) エピソード②
もう一つのエピソードは,14代沈壽官がソウル大で公演した場面だ。司馬のこの本が出版されたのが1968年で,その少し前に沈壽官が韓国へ行ったとあるから,1960年代の中頃のことであろう。公演が終った時,聴衆は拍手をせずに歌を歌ったという。〈歌詞は「見知らぬ男だが黄色いシャツを着た男」といったふうのもので,学生たちは沈氏へ贈る友情の気持ちをこの歌詞に託したのであろう。〉とあるから,1961年に韓明淑(한명숙 ハン・ミョンスク)が歌って大ヒットした黄色いシャツの男(노란 샤쓰 입은 사나이)のことだろうと思われる。フィドルをフューチャーしたカントリー調の歌謡曲である。アップテンポな曲だから合唱は難しかったと思われるが,逆にスローテンポで歌ったのなら,この曲の持ち味を完全に殺してしまったことになる。
韓国では1960年の4.19学生革命で李承晩を倒したが,翌年5.16軍事クーデタで朴正煕が実権を握る。この暗い世相を吹き飛ばそうと,意図的にこの明るい曲を広めたといわれている。歌詞は次のようなもので若い女性の片思いの心理を表している。
--노란 샤쓰 입은 말 없는 사나이
어쩐지 나는 좋아 어쩐지 맘에 들어
(黄色いシャツ着た無口な男
なぜかしら惹かれる なぜかしら気になる)
沈壽官は韓国語を解さなかったようだから歌詞は分からなかっただろうし,たとえ分かったとしても歌詞からだけでは込められたメッセージの謎は解けないと思える。聴衆は何を意図したのだろう? この場面を司馬は感動的なエピソードに仕立て上げたいようだが,沈壽官が黄色いシャツを着ていたのでもない限り意味不明のままだ。
ⅴ) 疑問
① 郭冉佑
〈この戦いのとき,韓国側に義勇軍が編成されており,その将郭冉佑(かくぜんゆう)…〉は,天降紅衣将軍(천강홍의장군)というニックネームのある郭再祐(곽재우)を指すのだろう。「祐」は「佑」となっている資料もあるが.「冉」は分からない。
② パシンポウチュン
橘南谿から引用している部分に,伸侔屯なる人物が紹介されている。そもそもこの小説のタイトルは,この人物の〈故郷忘じがたし〉という発言に由来する。それにしてもパシンが分からない。もともとの姓が申で,それと区別するために,「펴다(ピョダ=伸ばす)の伸」という意味で「펼 신(ピョルシン)」とでも言ったのか?
以上見てきたように,全体として14代沈壽官の話に寄りかかりすぎて深い検証が見られない点は大いに問題である。勿論史実を追求するにも資料が乏しいだろうから,代々の言い伝えをそのまま利用するしかないのかもしれない。しかしそうなると,エッセイ風とは言え歴史小説でもなんでもなく,雑な史実を多く含んだ「神話小説」とでも呼ぶしかない。
現実には歴史小説と誤解され,14代沈壽官の全国区でのブレイク(대박)のきっかけとなる役割を果したはずだから,誤解する読者が悪いでは済まされない。あくまで司馬遼太郎と14代沈壽官の共同作業といえるだろう。そうすると,単なるモデル小説にすぎないから批判は全て司馬に向けられるべきとは言い切れないのではないか。
ソウル大の講演の後,沈壽官は朴大統領と会う。〈朴大統領自身が会うという。日本人として単独会見をゆるされることは稀有であろう。〉 このように司馬は沈壽官を日本人と扱ったり「韓人」として扱ったり適当に使い分けている。沈壽官自身も使い分けているようにも感じられる。沈壽官が政治的にどのように立ち回り,韓国側がどのように利用しようとしたのかが語られていない。あるいは,司馬が意図的に伏せたのかもしれない。その辺のことこそ最も知りたかった部分だ。
エッセイ風であれ何であれ小説には違いないから,問題は得られる感動の質ということになる。沈壽官を非常に魅力的な人物として描こうとしているが,どう見ても陶磁器製作に情熱を燃やすタイプというより商売上手な人間としか像を結ばない。従って名作と絶賛するほどではないし,〈痛哭の詩〉という大仰なキャッチコピーに白けてしまう。作品そのものの持つ緊張感は,小林勝,村松武司,梶山季之,飯尾憲士などの作品に接して得られるものに遠く及ばない。
司馬遼太郎はベストセラー・ロングセラー作家として絶大な人気を博し,その歴史小説は「司馬史観」とまで賞せられているようだ。その一方で,主として歴史家からは史実に反するというさまざまな疑問・批判が投げかけられている。
われわれ素人の大衆にとっては話は簡単だ。人気を博するということは,取りも直さず「危険な思想家」ではないということを意味するから,まともに取り上げる対象と見做す必要は全くない。世に毒舌家とか歯に衣着せない発言で庶民の代弁者の顔をしている人士が,結局肝心なところで口をつぐんで的を撃たないということを何度も見てきているのと事情は同様だ。













































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