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韓国の歴史

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2010年12月

2010年12月29日 (水)

韓国ガールズユニット③

☆ 独断的分析 

前回,韓国メディアが「韓国ガールズユニットの日本進出を何故誇らしげに報道するのか?」と書き,以前の日本の大衆文化排斥との関連も含めて,その理由として5つの項目を考えてみた。それぞれについてもう少し掘り下げてみよう。

イ) あれは独裁政権下のことであって,仕方のないことであった。
 忘れっぽくて過去を水に流したがる日本人の国民性を繰り返し糾弾してきたのは,他でもない韓国や中国である。その教えに忠実であるなら,「倭色文化」を排斥した韓国と現在の韓国とが不連続と見ることは不可能だ。つまり,あれは朴正煕独裁政権下の話だという主張をするなら,そのような言い逃れや責任転嫁は韓国や中国の得意技の一つだと皮肉られるのがおちだ。
大日本帝国と日本国が不連続だなんて主張すれば,それこそ何を言われるか考えてみれば分かることだ。しかも日本の「歴史教科書歪曲」問題で日本の大衆文化の開放が中断したのは,独裁政権がごり押ししたのではなく,大多数の韓国国民の声ではなかったのかということになる。

ロ) 低俗な文化の国である日本の国民が高尚・高級な韓国文化に触れて感激している姿が,韓国人には痛快である。 
 AKB48がロリコン(年齢に関係なく)もターゲットとしている所為か,ソフトさを装っているように見えるのに対して,韓国のガールズユニットはエロそのものが売りではないか(別にエロが嫌いなわけではない--えへへ)。いくらなんでもこれを高尚・高級な文化と呼ぶわけにはいかない。韓国語で 징그럽다 という単語があるが,こういうのを表すのであろう。
韓国で男女を問わず幅広く見られるように,演じる側も見物する側もフラストレーションの塊でしかないように感じられる。これが何に起因するものなのかは,フロイトの理論でも援用して,誰かが分析してくれるのを待とう。韓国人はラテン系民族のように陽気である,というようなデマに惑わされる日本人がいるのが不思議でならない。単純に「陽気」という問題ではないだろう。

古い話になるが1964年の東京オリンピックの時,女子体操競技でチェコのベラ・チャスラフスカという選手が人気を集めた。1976年のコマネチ出現以降の低年齢化の前の時代だから,妖艶とも表現される美しさが持て囃されたそうだ。しかしこれに対して,野坂昭如だったかが「チャフラフスカはエロだ」と発言したという。誰も表立っては指摘しなかったファンの心理の一面を言い当てている。韓国ガールズユニットの場合にもぴったり当て嵌まりそうだ。チャスラフスカほどの品格はないだろうが。

ハ) 日本の文化がこの10余年で低俗を脱して,高尚・高級化した。
 これは韓国側が言いそうな屁理屈であって,日本人は以前も今も「低俗」だとは感じていない。そもそも「大衆文化」と呼んで一段低く見る感覚は持ち合わせていない。日本では冗談交じりにB級グルメと呼ぶ場合にも,B級なりの存在意義を評価した遊び感覚があるが,韓国ではB級では満足せず何が何でもA級になりたがる。 

ニ) 韓国文化も日本と同じく低俗であることを認めた。
 ブラックジョークを一発かまそう。なんでも一番にならないと気が済まない韓国が,その低俗さで低俗文化の先進国日本にようやく追いついたということ。さらに国を挙げて努力を重ねれば,アジアを席巻するどころか世界一の低俗国家になることも夢ではない。

ホ) 文化云々の問題ではなく,単なる金儲けの話だ。
 これが最も妥当と思われる理由だ。韓国企業がどこそこの国で工事を受注したと言うような話と同じ次元で評価しているのだろう。外貨獲得のために米国ひいては世界市場進出の足がかりとしての日本進出なのだ。この論理でいくと,ビートルズも金を稼いだということだけで評価するのであって,音楽性だとかメッセージ性だとかは二の次ということになる。音楽をそういうものだと捉えた上での戦略だということを,日本人はしっかり見て行こう。

MJLを志向していたのに声がかからず,やむなく日本球界に身を置いたものの大した結果も残せなかったプロ野球選手。或いはハリウッド進出の足がかりとして活動の場を日本に移すらしい名門大卒だけが売り物の女優。日本のマーケットを甘く見なければいいが。
質の低い作品を持ち込んで「韓流」ブームがしぼんでしまったのを教訓にして欲しいものだ。

☆ 結論

日本の文化は「低俗」と決めつけていた割には,この程度の文化観しか持ち合わせていないとは驚きだ。あれだけの世界遺産にしても,指定された件数で何とか日本に追いつき追い越すことや,観光客をどれほど誘致できるかという皮算用しか頭にないような情報を発信している現状が不思議でならなかったが,このように分析を進めていけばようやく合点がいく。

主として朝鮮日報の記事などに噛みついた形だが,3回かけてやっと一区切りがついた。考えてみれば日本で産経新聞の記事にいちいち目くじらを立てたりはしないのだから,同じように無視すれば済むことなんだろう。こんなものを相手にして時間を空費せずに,韓国人個々人との交流を通じて理解を深めるにことしよう。韓国人一般がこんなに低レベルなわけはないのだから。

2010年12月24日 (金)

韓国ガールズユニット②

☆ 韓国マスメディアの印象

韓国の新聞やテレビを見ていれば,順位付け・優劣・勝ち負けに異常なほどこだわるということに気が付く。もちろん儒教的思考という面も基盤にあるだろうし,愛国心教育なりナショナリズム涵養という政治主導の面も強いだろう。韓国人が個人としてはこれほどまで強烈とは感じないことが多いが,当然国民の側にも歓迎する風潮がないはずはないし,それにもましてメディアが意図的に煽っていると思うしかない。

しかもその価値観を文化の領域にまで広げようとするから,度を越した「韓国起源説」に血道を上げる事態になる。韓国の文化が最も優秀で,それを生み出した韓民族が最も優秀だという結論にまで直線的な道筋が用意されているように見える。日本人としては,いつか来た危うい道と映る。

更に,これに加えて権威に弱い。だから,日本のNHK・朝日新聞・岩波などに対して日本における以上の権威付けを行い,その言い分を鬼の首でもとったかのように報道する。今回の「アエラ」の記事に関する報道がその典型的な例の一つと言えるのではないか。アエラは週刊誌として発行部数で言えば恐らくぎりぎり10位以内に入る程度ではないだろうか。とても日本でオピニオンリーダーとしての役割を担っているとも思えないのに,韓国では違った受け止め方になるのかも。

しかし,考えてみよう。ほんの何年か前まで韓国では,日本の映画・ドラマ・音楽などの「大衆文化」を「低俗」という理由で輸入禁止にしていたのではなかったか。この辺の事情を振り返ってみるのも悪くない。

☆ 倭色文化(왜색문화)

倭(やまと,ワ)は中国の各王朝が用いた呼称であるが,自称としても用いられたから,侮蔑の意味が含まれるかどうかははっきりしないようだ。しかし韓国で使われる 왜놈(ウェノム)は「日本人野郎」という蔑称になる。倭奴という漢字が当てられることもあるが,奴は노(ノ)だから当て字の類だろう。むしろ「놈(ノム)=やつ/野郎」の方に侮蔑の意味が込められていると思えるが,やがて「倭」そのものにも蔑称としてのイメージが沁みついてしまったのかもしれない。

そのため倭色文化という表現も単に日本風文化を表すのではなく,低俗というニュアンスが前面に出てくる。具体的な現象としては,植民地時代の残滓を払拭するための国語純化運動や日本歌謡の排斥・輸入禁止などに現れた。このように「低俗」な日本の映画・CDなどの大衆文化が一律に禁止されていたのは,それほど昔の話ではない。

ようやく金大中・盧武鉉政権下で,映画・ビデオ・アニメ・ゲームソフト・レコード(CD,テープ等)などの日本の大衆文化開放が段階的にすすめられるようになる。1998年10月1次開放,1999年9月2次開放,2000年6月3次開放,2001年7月日本の歴史教科書歪曲問題で中断,2004年1月4次開放。
例えば歌手・沢知恵(父は澤正彦,母は金素雲の娘であるキム・ヨン=金纓 김영)が,韓国で戦後初めて公式に日本語の歌を歌ったのは1998年であり,まだ10年ちょっとにしかならないということは記憶しておいていい。

☆ 韓国ガールズユニットの日本進出を何故誇らしげに報道するのか?

そもそも日本の大衆文化排斥は,国内産業の保護という名目があるにしろ,独裁政権に対する不満のはけ口として手っ取り早く日本を槍玉に挙げた側面もあるだろう。それらは韓国の国内事情であり,お好きにどうぞとしか言いようがない。しかし「低俗・煽情的・猟奇的で美風良俗を害する」日本文化を開放した理由が明確でない。日韓相互の交流を促進するということのようだが,日本側が韓国文化を輸入禁止にしたわけではないから,「相互」という語はそぐわない。また,その後も日本の「大衆文化」が「低俗」であるという従来の評価を訂正した記事にはお目にかかったことがない。

その「低俗」な文化を生み出した国である日本のマーケットに進出することを,韓国のメディアとしては批判してしかるべきであって,まるで快挙のように歓迎したり,してやったりとはしゃいだりするのは筋が通らないのではないか。以前の日本の大衆文化排斥との関連も踏まえて,論理的に理由を無理やり考察してみると以下のようなものが挙げられるだろう。

イ) あれは独裁政権下のことであって,仕方のないことであった。
ロ) 低俗な文化の国である日本の国民が高尚・高級な韓国文化に触れて感激している姿が,韓国人には痛快である。 
ハ) 日本の文化がこの10余年で低俗を脱して,高尚・高級化した。 
ニ) 韓国文化も日本と同じく低俗であることを認めた。 
ホ) 文化云々の問題ではなく,単なる金儲けの話だ。

各項目を次回に書いてみることにする。こんなテーマで3回もかかるか--とぼやきつつ。

2010年12月17日 (金)

韓国ガールズユニット①

☆ 韓国ガールズユニットの日本進出

朝鮮日報は「韓国ガールズグループ‘日本侵攻’,ビートルズの米国進出のように」という記事を載せている(「한국 걸그룹 ‘일본침공’,비틀즈의 미국 진출과 비슷해」,2010.10.31)。この冒頭の部分は次の通り。
--日本の時事週刊誌「アエラ(AERA)は最近,韓国のガールズグループの人気を60年代のビートルズの米国進出に準えて,『韓国ガールズグループが日本を侵攻するだろう』と報道した。英国出身のバンド‘ビートルズ’が1960年代に米国で成功裏に人気を獲得し世界的なバンドに飛躍したように,韓国のポップ音楽(K-POP)が日本の音楽マーケットを席巻しているという話だ。--

韓国のガールズユニット如きをビートルズと比べるとは噴飯ものだ,というのがアエラに対する感想だった。しかしどういうニュアンスなのか詳しいことを知りたくて,まずこの「アエラ」の原文を掲載しているバックナンバーに当たってみることにした。ところがこの作業がなかなかすんなり進まない。朝鮮日報の記事が「最近」と書いているということで,まず10月の4冊を図書館に予約して貸し出したがそんな記事はどこにもない。次にアエラを検索してそれらしき記事を見つけて,8月30日号を貸し出した。そこに「キラキラオーラに夢中 K-POPガールズ日本上陸」という紹介記事があったが,詳しく取り上げているものの「ビートルズ」や「侵攻」のキーワードは見当たらない。

いろいろネットで検索して,7月12日号に当たりをつけて,ようやく行き着いた。孫引き記事が溢れかえっている割には直接引用しているものがほとんどないから,長ったらしいが参考までに該当箇所の原文を載せておこう。

--Kポップ人気番組 スタジオから「実況中継」(フリーランス記者・坂口さゆり)
同社(ユニバーサルミュージック)で男性ボーカルグループを担当する楮本昌裕氏は…こう話した。「韓国の音楽マーケットは将来の日本市場の姿とも思える感覚がある。日本でもK-POPムーブメントが起こりつつあるが,1980年代には,デュラン・デュランやカルチャークラブ,カジャグーグーなどイギリスのアイドル性の高いグループがアメリカ市場で成功した例がある。韓国アーティストの音楽が日本のマーケットを席巻する『コリアン・インベンション』 とも呼べる現象が起こるかもしれない」--

内容的に,これが朝鮮日報が引き合いに出している記事だと考えてまず間違いないだろう(アエラも朝鮮日報も問い合わせに対して無回答なので,これ以上ネタ探しをする気持ちはない)。インベンションが invention ではなくインベージョン(invasion)の誤りだと解釈して,「(武力による)侵入,侵略,侵攻」とする点には異論はない。この点をチェックしなかったのはアエラの記者なり編集部の怠慢だ。しかし,この文を見る限りでは,ビートルズはどこにも登場しない。そもそもアエラのインタビューに答えた個人の見解を,まるでアエラの主張そのものであるかのように捻じ曲げる朝鮮日報の引用の仕方は根本的に疑問である。

結局朝鮮日報のこの記事は,アエラの記事をダシにすることによって公正さを装い,8月29日付の朝鮮日報・日本語版のコラム「韓国ガールズグループの第2次日本『侵攻』」(チョン・ウサン=鄭佑相)の主張を取り入れているだけのように思える。このコラムも長くなるが,引用すると以下の通り。

--ポップスの歴史を見ると,イギリスは1960年代と80年代の2回,米国を「侵攻」した。1回目の「British invasion(ブリテッシュ・インベージョン=イギリスによる侵攻)」は,60年代にビートルズやローリング・ストーンズに代表されるイギリスのバンドが米国でヒットしたこと,2回目は80年代にデュラン・デュランやカルチャー・クラブといったニューウェーブ・バンドの曲が米国に上陸したことだった。こうしたバンドは,単に米国の音楽市場に進出したのではなく,米音楽界の勢力図を塗り替えた。米国で「侵攻」という言葉が使われるほど,当時のイギリスのバンドは勢いも人気もあった。
--日本は,少女時代やKARA(カラ)といった韓国ガールズグループ(女性アイドルグループ)の日本進出を「Korean invasion(コリアン・インベージョン=韓国による侵攻)」と呼んだ。
--2004年に巻き起こった「ヨン様」ことペ・ヨンジュンとドラマ『冬のソナタ』ブームが「第1次コリアン・インベージョン」なら,今年8月から始まった韓国ガールズグループの日本進出は「第2次」になる。--

「アエラ」の記事では1980年代の話だったのがいつの間にか1960年代のビートルズに化けたプロセスがよく分かるし,「アエラ」という主語すら「日本」に変わってしまっている(アンダーライン部分)。まるで手品を見ているようだ。冒頭の朝鮮日報の記事では,さすがにこの主語の部分はアエラに戻している。多分,具体名を持ち出すことで真実性を読者に印象付けるために。

この点だけを見ればアエラは被害者ということになるだろうが,とてもアエラの肩を持つ気にはなれない。日本のことわざ「目糞鼻糞を笑う」に当たる韓国のことわざに,「똥 묻은 개가 겨 묻은 개를 나무란다. 糞のついた犬が糠のついた犬を貶す」があるが,アエラも朝鮮日報も所詮糞か糠に過ぎない。

☆ 「AERA」のいかがわしさ

今までアエラを読んだことがなかったが,今回何冊かに目を通した印象は,「無残」の一言に尽きる。別に期待するものはなかったとはいえ,これほど酷いとは思わなかった。韓国に関して,この種の提灯記事を繰り返し載せる意図がどこにあるのか。恐らく阿諛追従することで,自己正当化しようとしているのだろう。このように尻尾を振り,相手の主張を鵜呑みにする能天気なマスコミがいるから,韓国のメディアがそこにつけ込むというより群がってくる。その挙句に「歪曲」まがいの行為にまで出る。普通なら引用の不正確さに憤慨するなり抗議を申し込むなりしてもおかしくないと思えるが,むしろ論を深化させてくれるお先棒を担いで本望と思っているのかもしれない。

一方の極にアエラがいるすれば,他方の極には底意は反共と謂れのない差別感なのに,無関係なものを持ち出して大言壮語する石原慎太郎や橋下徹のような極右政治家がいる。このように書くとアエラが「左」に位置する構図に見えるが,オール「右」が日本のマスメディアの現状であり,まともな論者を期待するのが無理なんだろうか。

肝腎の朝鮮日報や中央日報といった韓国メディアに対する疑問が今回のメイン・テーマだが,前置きのつもりの部分に字数を費やしてしまった。次回にこの続きをじっくり書くことにしよう。

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