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韓国の歴史

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2009年6月

2009年6月22日 (月)

チェクポルレ⑭ 黃晳暎Ⅰ

☆ 記者懇談

5月中旬に,李明博(이명박 イ・ミョンバク)大統領の中央アジア歴訪に特別随行員として小説家・黃晳暎(황석영 ファン・ソギョン)が同行し,その時の記者懇談での発言を巡って韓国では大騒ぎとなった。日本では,韓国新聞の日本語版を除いて全く報道されず,こういうところにも日本人の韓国(朝鮮半島)に対する関心の持ち方の一面性が感じられる。

さて,その懇談の全文は正確な形のものはないようで,色々な記事をつなぎ合わせて推測してみるしかない。一つは,李明博政権を「中道実用政権」と認め,大枠では賛同(동참=同參)すると言う発言。大統領選挙の時には李明博阻止を主張し,進歩陣営の大連立を呼びかけていたことから,特に進歩陣営からの反発が大きい。

「変節(변절)」,「裏切り(배신=背信)」という表現がもっとも多く,「転向(전향)」という単語はこういう場合には使われない。「名状しがたい失望」というのもあれば,「パーフォーマンス」とか「お笑い界デビュー」と揶揄するものまである。さらには,「広告塔」とか「立身揚名」という捉え方もあり,ノーベル賞欲しさの政権接近という皮肉っぽい見方まである。

もっと露骨な罵詈雑言の類もあるが,保守陣営からの反応は多くない。黃晳暎の過去の言動に対する警戒心が強いからなのか,諸手をあげて歓迎とはいかないようだ。

☆ 光州事態(광주사태)

そしてもう一つの発言「光州事態はわが国だけにあると思っていたが,70年代のサッチャー政権当時の英国でもデモ隊に発砲して30~40人が死亡し,フランスでも全く同様で,世界のどの国でもあったこと」であり,「このようなことがあって進歩する」に対しては,猛烈な反発があるようだ。

そもそも1980年5月の民衆抗争は「5・18光州民主化運動」が正式名称になっているはずだ。李明博はこれを相変わらず「光州事態」と呼び,「釜馬民衆抗争」も「釜馬事態」と呼ぶようだが,黃晳暎も同じ表現を使っているのは信じ難い。『死を超え時代の暗闇を超えて(죽음을 넘어, 시대의 어둠을 넘어)』(日本語タイトル『全記録 光州蜂起』)の著者である人間がだ。

「光州騒擾事態」あるいは「光州事態」という表現は,不純分子たちの体制転覆を企図した事態という価値判断の入ったもので,武力鎮圧を図った戒厳軍が使ったものであり,この表現を使うかどうかがリトマス紙のようになっている感がある。

全体として黃晳暎の発言は,部分的な真理とそれをはるかに上回る舌足らずさが目立つ。その後ハンギョレ紙上で弁明をしているようだが,文学で飯を食う人間である以上一度発した言葉の重みを充分分かっているはずだから見苦しい。「非難を受ける覚悟はある」と大見得も切っていたのだから。

文部大臣になって正史に名を残そうと色目を使った江藤淳や,完全に政治の世界に逃げ込んでしまった石原慎太郎などには,文学の世界で落とし前をつけろというしかない。黃晳暎の場合は分断国家に身を置き,日本とは全く異なる政治風土ということも考慮に入るとはいえ,やはり文学の土俵で勝負して欲しいものだ。

2009年6月16日 (火)

印象に残る言葉③

☆ 家族会

田原総一朗のTVでの発言に対して,家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)と救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)が抗議文を送ったと報道されている。

田原総一朗なる人物に興味はないし,その発言がどういう意図でなされたのかを詮索する気にもなれない。印象に残ったのは,家族会の抗議文だ。

それによれば,田原の発言が「家族と多くの国民の気持ちを踏みにじるもの」となるらしい。このような気持ちを踏みにじられる「多くの国民」の一人に数えられることを断固拒否する。家族と同じ気持ちを持つことを,なぜ強要されなければならないのかが理解できない。

多くの国民が背後にいるのが当然と思い込む傲慢さ,逆に言えばそのように思い通りになると高をくくられている国民像。当為(Sollen)の問題であるはずがない。多様な意見を認めようとしないこの論理の行き着く先が,家族と同じ気持ちを持たない人間は「非国民」というレッテル貼りに終らないことを願う。

そもそも家族会と自民党は,互いに利用価値があるから相手をうまく利用しているだけのように振舞っているが,ぴったり息の合ったコンビのようにしか見えない。おまけにマスコミも片棒を担いで,朝鮮人蔑視という日本人の深層心理をくすぐることで煽っているなんとも気持ちの悪い猿芝居だ。

「こんなしょーも無いもん,ほっときなはれ。」と忠告してくれる人もいるが,第三のタブーを見過ごすわけにはいかない。

☆ 世間

韓国人を理解することは一筋縄ではいかないが,日本人についても同じことが言えるだろう。奥底に根強く残るシャーマニズムと同様に,日本人の行動様式に大きく影響している「世間」を論じた阿部謹也の『歴史とは何か』(岩波新書)と『「世間」とは何か』(講談社現代新書)から抜粋。

--「世間」は日本人一人一人の行動を拘束するものであり,日本人は自分の振舞いの結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている。会社や役所などで不祥事が起こったとき,「世間を騒がせて申し訳ない」と謝罪することがある。

--「世間」の中にありながら,歴史を自分自身の体験として身近に引き寄せるためにはどうしたらよいのだろうか。何よりもまず個人が「世間」から自立しなければならない。そのためには「世間」と闘わなければならないのである。「世間」は個人が突出することを好まない。全体として「ことなかれの体質」をもっている。その中で自分の資質を伸ばし,自分の主張を貫いてゆくためには闘わなければならないのである。「世間」と闘うことによって私たちは歴史への展望をも開くことができる。

--日本人は一般的にいって,個人として自己の中に自分の行動についてを絶対的な基準や尺度をもっているわけではなく,他の人間との関係の中に基準をおいている。

--この詩(金子光晴『寂しさの歌』)はすでに述べたことがあるように日本人というものを全体として捉えた傑作である。この詩に示されている寂しさはどこからくるのか。私は長い間問い続けてきた。そして今私は,日本人の寂しさの根源の一つは日本人が古来結んできた世間という絆があると思う。

--大切なことは世間が一人一人で異なってはいるものの,日本人の全体がその中にいるということであり,その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。

2009年6月 6日 (土)

22年ぶりの南山公園

☆ 南山公園

初めて韓国旅行をしたとき,ソウルの南山公園に歩いて行った。金庾信(김유신 キム・ユシン)や金九の銅像を見て,安重根記念館に行くのが目的だった。ソウルタワーに行くという考えは全くなかった。

翌年,2回目に南山公園に行ったときは,ソウルタワーが目的だった。ケーブルカー(実際にはロープウェイ)の切符売り場で,当然誰でも往復を買うものと思っていたが,片道だけ買って帰りは歩くという人もいるらしいことが分かった。当時は展望台が約35分で一周する回転ラウンジになっていた。そしてカメラの持込が禁止されていたことと,タワーそのものの高さではなく海抜で東京タワーより高いと自慢していた記憶がある。

今回は,片道(편도 ピョンド)だけケーブルカーを利用した。それにしても,片道6000ウォンで往復7500ウォンという料金設定は,成る程という感覚と同時に何で?という気持ちが入り混じる。展望台は回転しなかったし,カメラも問題ないようだった。

そして帰りのルートは坂道と階段があり,公園の作業員らしき人に尋ねたら,階段の方が早いというので階段を選んだが結構きつかった。

☆ 安重根義士紀念館(안중근의사기념관)--記念館ではないんだね!--

さて,今回は安重根の遺墨(유묵)を見るのも旅行の目的の1つだった。紀念館の建物の右手に,碑が2つ建っている。

1つは「見利思義 見危授命(견리사의 견위수명) 於旅順獄中」で,側面には次のようなハングルの説明文が彫られている。
이익을 보거든 정의를 생각하고 위태함을 보거든 목숨을 주라--利益を見ては義を思い,危機を見ては命を捧げよ--

この安重根の言葉を,金九を暗殺した安斗煕を50年近く後に殺害した朴琦緖が記している。(当ブログの『チェクポルレ⑨ 光州Ⅲ』を参照)

もう1つは「國家安危 勞心焦思(국가안위 노심초사)」で,側面は
국가의 안위를 걱정하고 애태운다--国家の安危を心配し,思いわずらう--
となっている。

建物の内部で最初に目に付くのが,
「一日不讀書口中生荊棘(일일부독서 구중생형극)」である。
하루라도 책을 읽지 않으면 입안에 가시가 돋는다--一日でも本を読まないと,口の中に刺(とげ)が生じるようだ--

現在はどうなっているか知らないが,昔は三中堂で本を買うとこの言葉を印刷した栞を挟んでくれたものだ。

これらの遺墨を収録した写真集が定価3万ウォンなのに2万ウォンで売ってくれた。それにしても23年前も今回も,入場者がほかに誰もいなかった。ソウルタワーには朝一番にもかかわらず日本人観光客はそこそこいたのに。安重根は勿論日本人にとって英雄ではないから,そんなものなのかなあ。それも1つの現実だろう。

近々リニューアル工事がされるらしいから,3度目の機会があるかもしれない。

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