印象に残る言葉②
☆ 代案学校(대안학교)の教材
オルタナティブスクール(代替学校)を韓国では代案学校と呼んでいるようだ。最近朝日新聞が「韓国の教育」のタイトルで,3回にわたってレポートしていて,その3回目に「代案学校」が取り上げられた。教育関係の人々にとっては以前から知られていたが,日本の新聞ではあまりお目にかからなかったものだ。
その記事について書くのではなく,代案学校そのものや日・韓の教育問題を論じるのでもない。韓国で報道された代案学校に関係したある事件を紹介したい。
ある代案学校の教師が国家保安法違反(讚揚鼓舞)嫌疑で起訴された。歴史教育授業資料として自主教材に引用した「光州市民軍蹶起文」と「五月の歌」の歌詞が,利敵表現物と見做されたらしい。(当ブログの『チェクポルレ⑨ 光州Ⅲ』を参照)
5.18関連団体の抗議に対して検察は,
--「五月の歌」と「光州市民軍蹶起文」自体ではなく本全体を貫いている内容に利敵性がある。(두 문건 자체가 이적성이 있다고 본 게 아니며 책 전체를 관통하는 내용이 이적성이 있다고 볼 것)
と釈明している。(오마이뉴스 2008-10-30)
この事件に分断国家の厳しい現実を見るか,民主化の流れを何とか後退させようという勢力のしぶとさを見るか,人によって見方が分かれるかもしれない。しかし,いろいろなことを考えさせる材料を提供してくれる。
☆ 宮嶋博史『両班(ヤンバン)』(中公新書)
韓国人のものの見方・考え方を知る上で,最近読み返した『両班』の次の記述は役に立つ。これは日本についても妥当するだろう。
--ところで今日,韓国・北朝鮮の人々や,われわれ外国人が朝鮮の伝統的な文化,伝統的な生活スタイルとしてイメージするものの多くは,本書で明らかにしたように,15,16世紀以降はじめて形成されてきたものであった。そしていわゆる伝統的なものが社会全体に普及していくのは18世紀以降のことなのであり,それは朝鮮人の長い歴史から見れば,きわめて新しい時代の産物なのである。伝統というと,われわれは往々にして古い昔から変わらずに存在してきたものと思いがちであるが,それはたいていの場合誤っている。日本の伝統と思われるもの,特に生活文化に密着したものの多くが,江戸時代以降に形成・普及したものであるのも同様のことである。
☆ WBC韓国チームのトップバッター李容圭(이용규)の談話
ワールドベースボールクラシックそのものには興味ないが,それをめぐる日・韓両国のマスコミ報道にはいささか興味があった。一言で言えば,国家と国家の闘いという捉え方にはうんざりした。侍ジャパン(사무라이 재팬)というアナクロも,ポン・ジュングン(봉중근=奉重根)義士(의사)という表現にも辟易というのが率直な感想だ。
ポン・ジュングン投手の名前が,ハルピンで伊藤博文を暗殺した安重根(안중근 アン・ジュングン)と同じということで,安重根と同じように義士の称号をニックネームにしたようだ。安重根は通常切手の図柄にもなるくらいの英雄であり,ソウルの南山公園に「安重根義士記念館」がある人物だ(ごく最近,新しい記念館を建てる起工式があったばかり)。
さて一番興味深かったイ・ヨンギュ(이용규=李容圭)の授賞式に関する談話を,Chosun Online は日本語で次のように報じている。
--授賞式で銀メダルを首に掛けなかったのは,日本の選手たちが笑ったり楽しんだりしているのを見たくなかったからだ。
朝鮮日報の本紙ではこの部分は次のようになっている。日本語版では紹介されていない。
--특별한 이유보다는 일본전에서 빈볼을 맞을 때부터 감정적으로 좋지 않았다.
--결승전에서 도루 과정에서도 일본 선수의 위치 때문에 다쳤다.
그래서 나도 모르게 분하고 억울한 마음이 들었다. 일본 선수들이 좋아하며 즐기고 기뻐하는 모습이 불쾌했다.
要旨はこんなところだろう。
--対日本戦でビーンボールを受けたときから,感情的によくなかった。
--決勝戦で盗塁したときも日本選手の位置の所為で怪我をした。だから,思わず腹を立て口惜しい気持ちになった。日本選手が喜んで楽しそうに振舞っている姿が不愉快だった。
ストレートに感情を表現している点は別に問題はないし,たしなめる論調が現れそうにないのもいつもの通りだ。最も冷静な発言を心がけていたように見えるキム・インシク(김인식=金寅植)監督でさえ,帰国後の記者会見では球審が岩隈に甘かったというような発言をするくらいだ。ネチズン(ネット+市民)の集中砲火に対する配慮かとも思えてくる。
今まで韓国における反日デモなどの映像を見ても,あれは一部の人間に過ぎないとたかをくくっていたのが,普通の韓国人の反日感情の根深さを見て驚いた日本人が多かったようだ。また,韓国人の自画自賛・牽強付会・被害妄想という面を感じた日本人も多かっただろう。逆に当然韓国でも日本人の断片的な姿が報道されて,韓国人もさまざまな感想を持ち,対日感情の判断の正しさに自信を深めたかもしれない。
バイアスのかかった報道の隙間から実像がちらちら見えてくるのも,また歓迎すべきことと思える。マスコミのアジテーションや相手にすり寄る卑屈さに惑わされず,自分の目で判断する機会が増えてきたということだ。自分たちとはまるで異なった考え方をする人間が生活しているという,極めて当たり前の事実に気付くことが悪いわけはない。


























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