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韓国の歴史

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2009年1月

2009年1月26日 (月)

チェクポルレ⑧ 光州Ⅱ

☆ 木村幹『韓国現代史』(中公新書)

1948年から2008年までの60年間に,韓国で大統領に就任した人物は10人いる。
李承晩(이승만 イ・スンマン),尹潽善(윤보선 ユン・ボソン),朴正熙(박정희 パク・チョンヒ),崔圭夏(최규하 チェ・ギュハ),全斗煥(전두환 チョン・ドゥファン),盧泰愚(노태우 ノ・テウ),金泳三(김영삼 キム・ヨンサム),金大中(김대중 キム・デジュン),盧武鉉(노무현 ノ・ムヒョン),李明博(이명박 イ・ミョンバク)である。

このうち,崔圭夏・全斗煥・盧泰愚の3人を除く人々が,それぞれの時代のターニングポイントでどこでどのように生きていたかという視点でまとめられている。面白い手法であり,縦糸と横糸の絡まり具合が整理されて,韓国の政治の流れを理解するのに役立つ。また,離合集散の激しい韓国の政党変遷図や,憲法制度の変遷が巻末に添えられているのも,資料として参考にするのに手ごろなものとなっている。

ここまでだけなら,上記の3人に触れずに画竜点睛を欠く奇異さが目立つとはいえ,暗い部分に全く触れない点も含めて,それが著者の立場からくる意図的なものと思えば納得がいく。別に珍しいことではないから。ところが「あとがき」を読むと,俄然印象が変わる。

☆ 「あとがき」

上記3人特に全斗煥と盧泰愚は,5・18と韓国の民主化運動とにモロに関係するから,これを避けて通っていることは,「光州事件(著者はこのようにしか呼ばない)」の真相を知りたいわれわれ読者にはもどかしい。それではその理由をどのように書いているか?

「三名の大統領について取り上げることができなかった」のは,「客観的で詳細な研究がなされておらず,資料的制約が大きかったことが最大の原因」としている。また,「民主化以後の状況について,詳述できなかった」のも「主として,客観的資料の不備によるもの」であるらしい。

そのように肝心な部分に頬かむりする「不完全さがある」と自覚しているのなら,資料が揃うまで出版しないという選択肢もあるはずだ。それを敢えて見切り発車の形で出版する以上,単なる言い訳としか受け取れない。あるいは,乏しい(?)資料からでも現時点で可能な推論をするような危ない橋は渡らない自己保身かも知れない。いずれにしても,本人が示したいこととは裏腹に,フェアとは言い難い。それどころか,確信犯的で極めて悪質とも言える。

「事件」の真相がはっきりすることを望まない人間がいて,もちろんそれは一人ではなくそれを支持する構造があり,和合と言う名分による恩赦を歓迎する国民もいる。その辺にスポットを当てて記述する蓄積・情報・力量はあるはずなのに伏せておくのは,資料の不足というのも所詮は著者に都合のいい資料の不足ではないのかと絡みたくなる程だ。

何年か先に資料が出揃ったと著者が判断した段階で,この続編が書かれるのを待つしかないのだろう。「あとがき」が,単なる学問的公平さを装ったポーズに過ぎず,忘れっぽい日本人の特性を期待してとりあえず批判を切り抜けておこうという考えからでない限り,それぐらいの責任は果たすべきだと思う。

2009年1月23日 (金)

チェクポルレ⑦ 光州Ⅰ

☆ 光州(광주 クァンジュ)へ

ソウルで語学院に通っていたとき,夏学期の期末試験と修了式を放棄して光州に出かけた。ビザの期限と家庭の事情で,終ってからのんびり旅行することが無理だったから,そういう手に出るしかなかった。修了証書が欲しくて留学したわけではなかったから,別に残念さは全くなかった。

所詮,動機の大部分は単なる野次馬根性にしろ,光州に実際に行くことの方が得るものがあるという判断だった。泊まったホテルが錦南路(금남로 クムナムノ)や旧道庁に近く,地名には馴染みがあった。『全記録 光州蜂起-虐殺と民衆抗争の十日間-』(柘植書房)を20年以上前に読み,何度か読み返していたから。

早速,国立5・18民主墓地へ出かけたが,総合バスターミナル(유・스퀘어=U・squareというのが別称らしい)から出ているバスの番号も518だった。最寄のバス停で降りて少し歩いて辿り着くのだが,「巡礼」の季節ではなかった所為か人影もまばらで,数人を集めて入り口で簡単な説明があった。

被害者2000人説が頭の片隅にあった所為か,墓地はなんとなく想像していたよりは狭いように思えた。それでも,約200名の墓碑が並んでいる光景は,言葉を失うものであった。実際には死者600名という数字をよく見かけるから,犠牲者の数をどう算定しているのか分からなかった。しかし,いずれにせよ虐殺には違いない。望月洞(망월동 マンウォルドン)の旧墓域をそっくり移したのではないようだった。

それから,写真や資料の展示・『韓国民衆版画集』で強く印象に残っている洪性譚(홍성담 ホン・ソンダム)らの版画を見たくて5・18記念公園へ出かけた。思ったような展示はなかったが,ガードマンらしき人に5・18記念財団に案内してもらった。そしてそこで,いろいろ話を聞くことができた。しかも,非売品である『We Saw』という大部な写真集と,体験者へのインタビューと当時のフィルムで構成された『記憶を記憶しろ』というCDをもらった。これら2点には,映画『光州5・18(화려한 휴가 華麗なる休暇)』よりむしろ事実を訴えかける強さがあり,足を運んだ値打ちがあった。

☆ 学び直す歴史--人のためではなく自分のために--Part Ⅱ

1980年5月18日から27日まで,全羅南道光州の市民たちが立ち上がった一連の事件は,「5・18光州民主化運動(오일팔민주화운동)」が公式名称となっている。「光州事態(광주사태)」には「不純分子たちの体制転覆を企図した事態」という価値判断が入っているから,現在では一部でしか使われない。「光州(民衆)抗争」は使われている。

ここで,韓国の民主化運動の流れをメモしておく。重要度を判別するのは手に余るから,資料等でよくお目にかかるものを中心に選んだ。参考にしたのは,以下の3冊。
真鍋祐子『光州事件で読む現代韓国』(平凡社)
韓国民衆史研究会編著『韓国民衆史・現代篇』(木犀社)
木村幹『韓国現代史』(中公新書)

1960年 4月19日  四・一九革命(四月革命)
       4月27日  李承晩,大統領退陣
1961年 5月16日  軍事クーデター,朴正煕ら実権掌握し軍政に突入
1963年12月17日  朴正煕,大統領に就任
1971年11月13日  全泰壹,平和市場前で焼身自殺(勤労基準法遵守を主張)
1972年10月17日  特別宣言発表,非常戒厳令宣布=維新クーデター
      12月27日  維新憲法公布
1975年 5月13日  緊急措置第9号宣布
1979年10月18日  釜馬事態
            10月26日  朴正煕大統領,中央情報部長金載圭により弑害(시해)[暗殺]さる
            12月12日  全斗煥ら,粛軍クーデター
1980年 5月17日  非常戒厳令全国拡大
             5月18日  光州の戒厳令反対運動に対して,空挺部隊投入。武力鎮圧開始(第一次作戦名「華麗なる休暇」)
             5月27日  戒厳軍・空挺隊により「暴徒掃討完了」--鎮圧側の報告
1982年 3月18日  釜山米文化院放火事件
1985年 5月23日  ソウル米文化院占拠・籠城事件
1987年 6月10日~ 六月民主抗争(朴鐘哲拷問致死事件隠蔽)
1987年 6月29日  六・ニ九民主化宣言(大統領直接選挙制への改憲など)
1996年 8月26日  全斗煥元大統領に死刑宣告(ソウル地裁)→無期に減刑(高裁)→無期確定(最高裁)→金泳三大統領の特別赦免で釈放,盧泰愚前大統領は懲役22.5年→12年→赦免
※ 12・12粛軍クーデターに関する反乱罪,5・18光州事件に関する内乱罪,受賂[収賄]罪

      

2009年1月 1日 (木)

ようこそ2009 “Show the Flag!”

このブログを書き始めて1年近くが経った。読んだ人が自分で判断すればそれでいいわけだが,9・11(2001年の同時多発テロ事件)の際にアーミテージ国務副長官が日本に迫った言葉のように,“Show the flag!”(旗色を鮮明にしろ!)と言われれば,次のようになろうか。

知識人であれば,韓国に都合のよい発言をすれば韓国側からは「良識派」と言う賛辞(?)が得られる。しかし,その賛辞が欲しさに尻尾を振るような人間も,分かっていながら振らせる人間もともに唾棄すべきだと考える(直訳ではないが韓国語の表現にこんなのがある 구역질이 나다)。そういう馴れ合いがお互いのためになるとは考えられないからだ。
一市民がどんな発言をしようと,賛辞も非難も攻撃も無いわけだが,誰にも媚びないことを基本姿勢から外したくはない。

「韓国は知れば知るほど好きになる」と無理に繕うことはしない。「好きだ」と公言することによって,自らが差別意識から免れているという免罪符に利用しようとするのは,あまりにもブザマだ。
もちろん,「知れば知るほど嫌いになる」ことはそれ以上に有り得ない,多分。なぜ‘絶対’と書かないか? 可能性が0%だと言い切る自信がないだけの話。
「知れば知るほど日本・日本人との違いの大きさが分かってくるし,もっと知るのも面白くていいかな」と言うのに一番近い。そしてその過程で自分なりに感じたことを書き残して行こうと思う。

そのとき当然,韓国人の論理が隙だらけであることを見抜ける部分も増えてくるはずだ。そこから「嫌韓派」に1歩踏み出して隙を攻撃することは容易い。しかし,そんな道を選ぶ位なら,こんなにエネルギーを注がなくても済むだろう。

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ブログ更新の本数が少なくなっても,今年も韓国と関連した映画と本を中心に書き進めていく予定です。と言っても,韓国映画に以前ほどの元気がないから,本が中心になる見込みです。

なお,2008年分の目次は,左のサイドバーをクリックすれば小見出しつきで表示されます。

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