チェクポルレ⑧ 光州Ⅱ
☆ 木村幹『韓国現代史』(中公新書)
1948年から2008年までの60年間に,韓国で大統領に就任した人物は10人いる。
李承晩(이승만 イ・スンマン),尹潽善(윤보선 ユン・ボソン),朴正熙(박정희 パク・チョンヒ),崔圭夏(최규하 チェ・ギュハ),全斗煥(전두환 チョン・ドゥファン),盧泰愚(노태우 ノ・テウ),金泳三(김영삼 キム・ヨンサム),金大中(김대중 キム・デジュン),盧武鉉(노무현 ノ・ムヒョン),李明博(이명박 イ・ミョンバク)である。
このうち,崔圭夏・全斗煥・盧泰愚の3人を除く人々が,それぞれの時代のターニングポイントでどこでどのように生きていたかという視点でまとめられている。面白い手法であり,縦糸と横糸の絡まり具合が整理されて,韓国の政治の流れを理解するのに役立つ。また,離合集散の激しい韓国の政党変遷図や,憲法制度の変遷が巻末に添えられているのも,資料として参考にするのに手ごろなものとなっている。
ここまでだけなら,上記の3人に触れずに画竜点睛を欠く奇異さが目立つとはいえ,暗い部分に全く触れない点も含めて,それが著者の立場からくる意図的なものと思えば納得がいく。別に珍しいことではないから。ところが「あとがき」を読むと,俄然印象が変わる。
☆ 「あとがき」
上記3人特に全斗煥と盧泰愚は,5・18と韓国の民主化運動とにモロに関係するから,これを避けて通っていることは,「光州事件(著者はこのようにしか呼ばない)」の真相を知りたいわれわれ読者にはもどかしい。それではその理由をどのように書いているか?
「三名の大統領について取り上げることができなかった」のは,「客観的で詳細な研究がなされておらず,資料的制約が大きかったことが最大の原因」としている。また,「民主化以後の状況について,詳述できなかった」のも「主として,客観的資料の不備によるもの」であるらしい。
そのように肝心な部分に頬かむりする「不完全さがある」と自覚しているのなら,資料が揃うまで出版しないという選択肢もあるはずだ。それを敢えて見切り発車の形で出版する以上,単なる言い訳としか受け取れない。あるいは,乏しい(?)資料からでも現時点で可能な推論をするような危ない橋は渡らない自己保身かも知れない。いずれにしても,本人が示したいこととは裏腹に,フェアとは言い難い。それどころか,確信犯的で極めて悪質とも言える。
「事件」の真相がはっきりすることを望まない人間がいて,もちろんそれは一人ではなくそれを支持する構造があり,和合と言う名分による恩赦を歓迎する国民もいる。その辺にスポットを当てて記述する蓄積・情報・力量はあるはずなのに伏せておくのは,資料の不足というのも所詮は著者に都合のいい資料の不足ではないのかと絡みたくなる程だ。
何年か先に資料が出揃ったと著者が判断した段階で,この続編が書かれるのを待つしかないのだろう。「あとがき」が,単なる学問的公平さを装ったポーズに過ぎず,忘れっぽい日本人の特性を期待してとりあえず批判を切り抜けておこうという考えからでない限り,それぐらいの責任は果たすべきだと思う。


























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