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韓国の歴史

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2008年11月

2008年11月23日 (日)

チェクポルレ⑥ 金素雲-続続報-

☆ 『こころの壁』からの抜粋

--日本の悪口をいうことが〈愛国〉だと勘違いしている連中が韓国にもワンサいる。
--日本の未来を私は期待し,信じますが,但し,それは文化自体が見せかけでない,借物でない,もっと真実な根を張ったときのことです。
--日本に最も欠けているもの,それは民族の徳性--,相手を理解するための謙虚な努力である。
--声を大にして叫ぶものだけが愛国者ということになっている--。これが今日の大韓民国における〈愛国〉の相場である。
--(懐かしい日本の皆さん。) このなつかしさと,この憎しみと--。
--日本の〈悪〉を挙げよとなれば,私は韓国のいかなる志士,いかなる速成愛国者にも譲らぬつもりです。同時に,日本の〈善〉を語るにも,敢えて人後に落ちようとは思いません。
--郷土への思慕は私にとって一つの〈宗教〉であった。
--私の後ろには祖国がある。
--日本が憎かろうが,韓国がいやだろうが,お互い引越しはできない宿命なんです。

☆ 『霧が晴れる日』からの抜粋

--朝鮮人が井戸に毒を投じたと言えば,いつなんどきでも竹槍や鳶口を持出す勇気も備えている。その点では上下一致,まことに気の揃うのが日本人の特性である。
--ところが日本という国は韓国に目を向けていない。都合のいいことには利用したい。都合の悪いことには係わりを持ちたくない・・・。極端に言えばこれが一般の日本人に浸透している気持ちなのです。
--もっと謙虚に,まっとうな目で隣人を正視してほしい・・・。
--しかも動乱の惨禍によって,兄弟相食み,憎悪は骨髄に徹している。
--(両断の歴史的)責任は飽くまで「彼ら」にあり,朝鮮民族自身にないことを主張せねばならない。
--一瞬といえども私の念頭から郷土が離れることはなかったが,その郷土はいうならば薄情な恋人のようなものである。
--日本の原爆記念碑の前で涙ぐんだと聞いたら,私の祖国の人たちは親日派金素雲のやりそうなことだとせせら笑うかもしれない。申すもはばかりながら,私はそんなケチな「親日屋」ではない。

☆ ボディーブロー

金素雲が,日本および祖国に関して書いた文を中心に抜粋してみた。これら2冊の本そのものの出版は81年であるが,上の文章が発表されたのは大部分が51年~56年である。なんと50年以上前のものだ。そのことを考えると,全く色褪せていないことに驚かされる。

逆に言えば,日本と韓国の状況は根本のところでは大きくは変わっていないといえることになろうか。確かに,「韓流」のお陰で以前なら考えられなかった様変わりは起きている。しかし,マイナス側に振れていた針がゼロを指すところまで来て,プラス側に振れるにはまだまだこれからという気がする。ゼロにまで振らせたのは,部分的にはペ・ヨンジュンの功績といえるかもしれないし,それを過小評価しようとは思わない。しかし同時に,過大評価して極めて楽観的になる気分にはなれない。

軽い小手先のパンチは今までもあったし,そういう比喩なら「韓流」は手数の多いパンチといえるが,金素雲のような重いパンチ,ずっしり効くボディーブローこそ日本人には必要ではないだろうか。

断るまでもなく,金素雲の発言を全面的に受け入れるのではない。特に,「曾(かつ)て他民族を侵略したことなく,・・・この柔順羊の如き民・・・」などには大いに疑問符をつけたい。それでも次の文などは,ずっと韓国にこだわってきた胸のつかえの急所が突き止められた感じ。

--如何な名訳をもってしても,韓国の詩や民謡をその語感の持ち味通りに訳出することはできない。音感や語感の上に半音階のズレがあるからである。そして,この半音階の食い違いは,二つの民族の生活感情にもそのままに適用する。喜怒哀楽のすべてに,この食い違いは従(つ)いてまわるのである。

2008年11月13日 (木)

さすが朝日新聞!

先日,新聞でまた若宮啓文という名前を見かけて,2ヶ月近く前の朝日新聞の記事について書きかけていたものをムラムラと載せる気になった。お蔵入りして陽の目を見ないだろうと思っていたものだ。

☆ 日韓の悩ましさ

9月14日付の朝日新聞に,「耕論 日韓の悩ましさ」というテーマで,若宮の司会による黒田福美と朴裕河(박유하 パク・ユハ)の対談--というより鼎談--が掲載されていた。

黒田福美の「特攻隊慰霊碑」のそもそもの出発点の胡散臭さに関しては,『黒田福美はムーダンか?』で取り上げたから,あらためて書くまでもない。

自国の外に目を向けようとしない近視眼そのもので,専門外に関しても不勉強さを露呈している朴裕河が,能天気で薄っぺらな黒田の分析の甘さをたしなめている感じなのはむしろご愛嬌だ。

そこへ,寝ぼけた説を披瀝している若宮という朝日のコラムニストが司会をしているのだから,よくまあこれだけぴったりの組み合わせを考えついたなといえる人選の妙で,朝日新聞の「見識」にさすがはと舌を巻くしかない。

こんな風に書けば,嫌韓派や大阪府のバカ知事からエールが送られてくるかもしれない。昔,高田渡の『自衛隊に入ろう』を勘違いして,防衛庁がPRソングにと申し入れたという話があるぐらいだから。まさかね。

☆ 大江健三郎

朴裕河の専門は大江健三郎らしいが,大江の政治的発言のピントはずれには昔から定評がある。しかし,本人もその自覚はあり,ただ誠実さだけを売り物にしている面は感じられる。こういう誠実とか謙虚という態度が韓国人には無縁のものなのか,或いは学び取ろうとしないのは単に本人の資質なのか。いっそのこと,まるごと研究対象にすればよさそうなものなのに。

韓国の歌手などがマーケットの大きさに惹かれて日本に進出(侵略とはいわない)する。ステージで「サランへヨ」とか愛想を振りまいても,日本・日本文化に愛着があるわけではなく,敬意を払っているわけでもない。単に金を稼ぐのが目的なわけだが,別にそれに対して目くじらを立てる必要はない。飽きっぽい日本人が飽きれば,客が集まらなくなるだけの話だ。

それに対して,朴裕河や朴倧玄(詳しくは当ブログ『チェクポルレ② 新書2冊プラスワン』http://paiksooyum.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_a5cb.html)などは,金が目的といわない点が質(たち)が悪い。日本に寄りかかっているだけの似非文化人じゃないか。韓国人の発言だからといって有難がるのではなく,それをちやほや持ち上げる一部のメディアに踊らされるのでもなく,自分の目で本物かどうかを判断したいものだ。

☆ 本物(진짜 チンチャ)と偽物(가짜 カッチャ)

チンチャという単語は,関西弁でいえば「ホンマ!」とか「ウソや!」に当たるニュアンスで感嘆詞的に非常によく使われるが,ここでは勿論名詞。

日本と朝鮮半島の過去・現在・将来の問題を考える上で,目から鱗と呼べるような示唆に富んでいるとか,共感を覚える分析や見解がある。逆に到底同意できないという反発を感じても,それなりの斬新な切り口を持ったものもある。このような刺激をあたえてくれる言説を,本物と偽物あるいは一流と雑魚に分類してみるのも面白いかもしれない。

候補者を思いつくままに挙げておこう。
飯沼二郎・長璋吉・田中明・古田博司・呉善花・小倉紀蔵・四方田犬彦・金素雲・木村幹など。
何人かが抜け落ちているかもしれないし,意識的に落とした場合もあるが,いつかこれらを詳しく書ければと思う。

黒田福美は論外として,朴裕河や若宮程度が,日本と韓国の将来を論じる知の水準だとするなら,あまりにも悲しい。

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