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韓国の歴史

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2008年9月

2008年9月29日 (月)

チェクポルレ④ 金素雲-速報-

☆ 金素雲訳編『朝鮮詩集』(岩波文庫)

前回(チェクポルレ③)は,金素月の『つつじの花』がメインであったが,その際岩波文庫版『朝鮮詩集』を読み返してみた。そして,白石(백석 ペク・ソク)の『狐谷の種族(여우난 곬족)』が印象に残った。

これは,坂本遼の詩集『たんぽぽ』や片岡文雄の『イヌノフグリ』或いは高木恭造の『まるめろ』等を好む傾向と通底するのだろう。

☆ 金素雲のエッセイ

いま手許にある金素雲のエッセイ集は次の3冊。
『こころの壁』(サイマル出版会)
『霧が晴れる日』(サイマル出版会)
『天の涯に生くるとも』(新潮社)

これらを読み返しているが,じっくり取り組むことになりそうなので,とりあえず現時点で強烈に印象に残った文を少し長いが引用しておく。

-- 安倍能成氏や,浅川伯教氏や,或は柳宗悦氏たちのように,朝鮮を愛し知ることに於て自他共に許す博識の人はたくさんいます。しかしながら彼らは朝鮮の風物を愛し,陶磁器や建築を愛しても,生きた人間の歴史を愛したわけではありません。私の同胞の中にも,いまもってこれらの人々の朝鮮への愛情を信じ,心からの尊敬を寄せている人がいます。嗤(わら)うべき錯覚というものです。--

このように歯に衣着せず言い放つところが,金素雲の真骨頂といえよう。問題は,日本人の立場でこれらの人々をどのように評価するかというときに,このような視点が入ってくるのかという点だろう。時代的な制約という言い訳に寄りかかって,せめて一部でも良質な人間がいたと縋り付きたいのが人情ではあるが,それも承知で冷たく突き放す金素雲。

一つ気になるのは,伯教の弟である淺川巧が含まれていないことである。それほど重要な人物と思わなかったか,或いは「生きた人間の歴史を愛した」と認めて除外したのか。後者であれば,他の3人との違いは,朝鮮語を操れたかどうかがポイントの一つになるのかとも考えられるが,今後の課題としてボチボチ考えて行きたい。

☆ 淺川巧

昨年,忘憂里(망우리 マンウリ)共同墓地(공동묘지)にある淺川巧の墓を訪れた。この墓地にある唯一の日本人の墓だそうだ。火葬と土葬の違いも当然影響はしているだろうが,京都の大谷廟などとは全く趣が異なり,広々としている。ここには,『ニムの沈黙(님의 침묵)』の韓龍雲(한용운 ハン・ヨンウン)の墓などもあり,こういう所に出かけるのも収穫にはなった。

そして,淺川巧の墓碑には次のように記されている。

한국의 산과 민예를 사랑하고 한국인의 마음속에 살다간 일본인 여기 한국의 흙이 되다.   
(韓国の山と民芸を愛して韓国人の胸中に生きた日本人ここに韓国の土になる。)

淺川巧が研究の対象とした膳が,梨花女子大の博物館に収蔵されているとのことで,見学に行った。しかし,大学が改修工事中だったこともあるのか,全く跡形もなく無駄足だった。

2008年9月16日 (火)

チェクポルレ③ 『朝鮮詩集』

『チェクポルレ①-Ⅰ キム・スヨン』で触れた金素月の『つつじの花』が気になって,林容澤(임용택 イム・ヨンテク)の『金素雲『朝鮮詩集』の世界』を読み返してみた。著者の表現を借りれば,『朝鮮詩集』は〈いつ消滅させられるかもしれない被支配国の祖国の近代詩をあえて支配国の言葉で訳し,支配国で刊行したという,世界文学史上あまり例を見ない〉ものと位置づけられる。

この新書で『朝鮮詩集』と表されているのは,金素雲の4種の訳詩集の総称であって,特に岩波文庫版『朝鮮詩集』を指しているのではないようで,読む側は少し戸惑うことがある。

☆ 朝鮮語(韓国語)辞典

ずっと以前,長いブランクのもっと前に,朝鮮語を独学でかじり始めたことがあった。その当時,辞書としては養徳社の『現代朝鮮語辞典』という小型のものしかなかった。その次に手にしたのが,記憶が曖昧だが金素雲の『精解韓日辞典』(高麗書林)ではなかったかと思う。

金素雲の名前は,『ネギを植えた人』(岩波少年文庫)で知っていた。しかしこの辞典は,こちらの力がほんの初歩だったこともあり,ほとんど利用しなかったことは記憶している。その後,安田吉実・孫落範共編『韓日辞典』(民衆書林)を使うようになり,語彙数からもこちらは画期的に思えた。

☆ 金素雲(김소운 キム・ソウン)

金素雲の何冊かのエッセイを読んだのと,『朝鮮詩集』を読んだのとが,どちらが先であったのかも記憶がはっきりしない。『朝鮮詩集』については,上手いというよりむしろ上手すぎるという印象で,原作者より翻訳者である金素雲の匂いが強く現れているように感じた。

エッセイからは,日本に対しても韓国に対しても愛憎が極めて深く,当時の風潮とは異質だと思えた。しかしこの辺のことは,今後著作を読み返せば,また違ってくる可能性はある。

いずれにしても,骨太でしたたかで,あまり深入りしたくないなあというところだったようだ。

☆ 金素月(김소월 キム・ソウォル)『つつじの花(진달래꽃)』
  「jindallae.doc」をダウンロード   ※ 原詩の寧辺・薬山は,韓国の詩集ではハングルになっているようだ。また,-우- は -오- と表記され,分かち書きも一部異同がある。 
  ※※ 寧辺(영변 ヨンビョン,「北」では 녕변 ニョンビョン)はつつじの名所として有名だそうだが,核施設でしばしば登場する地名。

林容澤は,この詩に関しては金素雲訳を失敗作と断じている。金素雲訳と林容澤訳をそれぞれ引用しておくと次の通り。他に,『韓国現代詩集』(土曜美術社)の姜晶中訳もあるが,取り上げられていない。

(金素雲訳) 『岩つつじ』 
   どうで別れの/日が来たら/なんにもいはずと 送りましょ。
   寧辺薬山(ねいへんやくさん)/岩つつじ/摘んで お道に敷きませう。
   歩み歩みに/そのつゝじ/そつと踏まへて お行きなさい。
   どうで別れの/日が来たら/死んでも 涙は見せませぬ。

(林容澤訳) 『つつじ』
   わたしを見るのも疎ましくて/行かれるときは/黙って静かにお送りしましょう。
   寧辺の薬山の/つつじの花/一抱え摘んで行く手の道に撒きましょう。
   行かれる足ごと/置かれたその花を/そっと踏みしめお行きください。
   わたしを見るのも疎ましくて/行かれるときには/死んでも流しませぬ 涙は。

林は,この詩が〈別れを前にした主人公の,相手に向けた犠牲的な愛をテーマにして〉,〈建前としての昇華された諦念の美学〉と〈本音としての人間感情の微妙な葛藤を描〉いたものとして,韓国の伝統的美意識である〈「恨(한 ハン)」〉の絶叫を読み取っている。

これに対して,金素雲訳からは「恨」の心理が読み取れないとしているが,この分析は説得力がある。また,金素雲自身も失敗作と受け止めて,〈金素月の代表作としてのみでなく韓国近代詩の絶唱と名高い〉この『つつじの花』が岩波文庫版『朝鮮詩集』等から削除されているのだろうと推察しているが,そのことも充分納得がいく。

新書とはいえ,内容が極めて充実している労作だとあらためて感じた。そして,末尾の〈今度はぜひ日本人による金素雲論があらわれてほしい〉という指摘は鋭い。

   

2008年9月 3日 (水)

印象に残ることば①

☆ 竹内 好『日本とアジア』(ちくま学芸文庫)

抵抗のないところに敗北はおこらず,抵抗はあっても,その持続しないところに,敗北感は自覚されない。

☆ 子安宣邦『本居宣長』(岩波現代文庫)

本居宣長のトートロジーに苛立つ上田秋成のことば--

とかくに皇国を万国の上に置かむとする程に,彼の智術を以て己れ尊大をふるまう漢土の道と誹謗するに同談なるべし。大和魂(やまとだましひ)と云ふも,偏(かたよ)るときは,漢籍意(からぶみごころ)にひとし。

☆ 石原千秋『ケータイ小説は現代の陰画か』(朝日新聞8月17日書評)

本田透『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書)がケータイ小説に必須のアイテムだとしているのは--

売春,レイプ,妊娠,薬物,不治の病,自殺,真実の愛

この一部を「交通事故」「出生の秘密」「企業の後継者争い」にでも置き換えれば,韓国ドラマそのものになるが,その重なる部分だけでなく,差異もまた面白い。

☆ 작가 미상 『심청전(沈淸傳)』(『한국대표 고전소설선』 (번양사))

沈清の母親が,目の不自由な夫を残して死ぬ間際に,切々と訴えたことば--

이승에서 미진한 일 후생에서 다시 만나 이별 없이 살고 싶소.

(独断で意訳すれば,この世で果せなかった夢,生まれ変わってまた出会い,今度は別離を味わうことなく共に暮らしたい。)

☆ 박노자『당신들의 대한민국』(한겨레출판)

‘아름다운 우리 역사’는 감상용이지 반성용이 될 수 없다.

日本にしろ韓国にしろ,自国の歴史を美しいものだけだと思い込みたくて,醜い面に触れると「自虐的だ」と嗜虐的に叫ぶ人間がなんと多いことか。そういう人間にこそ,このことばは相応しい。

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