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韓国の歴史

2017年8月 5日 (土)

チェクポルレⅡ⑮文富軾③ 金恩淑

☆ 金恩淑(김은숙 キム・ウンスク)

1958年 江原道鐵原(철원)に生まれる
1977年 釜山市の高神大入学(1980年文富軾と同学年)
1982年 釜山アメリカ文化院放火事件(略称「釜美放」)。自首直前に文富軾と結婚
1審   無期懲役
3審   懲役10年確定 → 矯導所(刑務所)に収監
1983年 5年に減刑
1986年 仮釈放(5年6か月とか5年8か月服役という記事が見られるが,いずれにしても計算が合わない?)
出獄後,労働現場で夜間学校などの活動をしつつ,金百里(김백리)のペンネームで翻訳に従事
1988年 「釜美放」の報告書『불타는 미국(燃える米国)』出版
 ? 年  離婚(経緯不明/興味なし)
1993年 中編小説を出版
1995年 長編小説を出版
1997年     〃
2008年 訳書『ボブ・ディラン評伝』(※)
また労働者の子女を世話する地域児童センター「참 신나는 학교(心からウキウキする学校)」を運営。
2011年5月8日  「5月オモニ賞」受賞
2011年 末期胃癌で入院・闘病中の5月24日,多臓器不全で死去(享年52歳)

※ マイク・マークシー(Mike marqusee 마이크 마퀴스)著/金百里訳『밥 딜런 평전(ボブ・ディラン評伝)』(2008年,실천문학사)は現在でも入手可能なようだ。金百里の訳文には大いに興味あるが,ノーベル賞に尻尾を振るボブ・ディランには食指が動かない。

☆ 釜山」アメリカ文化院放火事件
そもそもこの事件は,1980年5月の光州民主化運動に対する全斗煥の虐殺に端を発する。

金恩淑の「釜美放」に関する報告書『燃える米国』で,韓国相手に莫大な利潤を挙げていた米国の穀物企業や石油財閥からの朴正熙・全斗煥政権に対する政治資金に言及している。また当時韓国軍の作戦統制権は米韓連合司令部にあった(米軍が司令官,韓国軍が副司令官)から,その黙認なしには全斗煥が空挺部隊を派遣して鎮圧できなかったはずとして米国の責任論を指摘している。
そしてこの事件は韓国の反米運動の嚆矢と評価されている。

事件当時男子学生たちがばらまいたビラ(謄写刷り)には次のように書かれていたようだ。
--米国(※)は韓国を属国に仕立てようとせずに,即刻この地から立ち去れ
※ 他の記事によれば,「米国と日本は」となっている。ビラに2種類あったのか,引用者が「日本」を抜いたのかは分からない。
--この地を牛耳っている米国勢力を完全に排除するための反米闘争を間断なく展開しよう。真っ先に米国文化の象徴である釜山米文化院を燃やすことで反米闘争の炬火を掲げ,釜山市民に民族的自覚を訴える

この事件に関して,文富軾を主犯とすることに対しては異論もあるようだ。
男尊女卑や長幼の序の意識が根強い韓国社会において,実行グループの中で最年長の男性というだけの理由から文富軾が主犯とされた。
実際にガソリンを運搬した4人の女子学生の中で,金恩淑が中心的な役割を果たしたようだ。確かにその後の言動から,お騒がせ男の文富軾とは対照的に黙々と地域で活動する金恩淑と捉えるなら,金恩淑主犯説は首肯できる。

この項は一部チャムセサン(참세상=本当の世の中)の記事も参考にした(http;//www.newscham.ne/2007.05.27)。比較的詳しく紹介されているが,読み手を小ばかにして,自信たっぷりの鼻持ちならない書きっぷりである。それはこの記事に限ったことではなく,韓国人の言説にしばしばみられる共通の特徴だから驚きはしない。両班文化の伝統とでもいえばよいか?

☆ 全斗煥(전두환 チョン・ドゥファン)と金大中(김대중 キム・デジュン)
全斗煥については何度か触れてきた(『チェクポルレ⑦光州Ⅰ』および『チェクポルレ⑧光州Ⅱ』)ので,金大中との因縁を含めて簡単にまとめておく。
1979年10月26日 朴正熙大統領,金載圭により暗殺
1979年12月12日 全斗煥,戒厳司令官鄭昇和を逮捕し実権掌握(粛軍クーデター)
1980年5月17日   非常戒厳令全土拡大,金大中らを拘束
1980年5月18日  光州に空挺部隊投入[このときの作戦名が『華麗なる休暇(화려한 휴가)』で,映画(邦題:光州5・18)のタイトルになった。]
1980年7月12日  金大中軍法会議に送検
1980年9月17日  金大中,軍法会議で死刑宣告(後に無期懲役に減刑)
1982年12月    金大中の刑執行停止と引き換えに全斗煥渡米
1995年12月3日   ソウル地検,全斗煥・盧泰愚を粛軍クーデターに関する反乱罪容疑と秘密資金(비자금)で起訴。後に光州事件に対する内乱罪および殺人罪で追起訴
1996年8月     ソウル地裁,全斗煥に死刑・追徴金2205億ウォン,盧泰愚に懲役22年6ヵ月・追徴金2628億ウォンの判決
             控訴審で全斗煥は無期・盧泰愚は17年に減刑
1997年8月31日   大統領選の候補者である金大中が,金泳三(김영삼 キム・ヨンサム)大統領の任期中に全斗煥・盧泰愚を赦免すべきと主張。結局,他の候補者も含めて3人全員がこの赦免を公約に掲げる
1997年12月18日 金大中,大統領選挙で当選
1997年12月20日 全斗煥・盧泰愚赦免・復権
2009年5月23日  盧武鉉大統領投身自殺,全斗煥は前立腺手術を理由に殯所(빈소)を訪れず,5月29日の国民葬にも参席せず
※ 盧武鉉は「釜美放」裁判における被告側弁護人
※※ この国民葬のときちょうど韓国に滞在していた。1日中その模様をテレビで生中継していて,ホテルでも高速バスでもずっと見ていた記憶がある。
2009年8月14日  全斗煥,7月13日から吸引性肺炎で入院中の金大中を見舞う。
2009年8月18日   金大中,多発性臓器不全で死去
2009年8月23日  金大中の国葬。参列者は李明博・金泳三・全斗煥・朴槿惠・潘基文など

☆ 韓国と向き合って
このブログもスタートしてから10年余りが経ったが,朝鮮・韓国に関してはそれ以前の何十年かとはまた違った見え方をしてきた。その意味では無駄にはならなかった。

韓国社会に対してまず感じることは,ウリ(우리=我々)意識が極めて強く,大多数が一斉に同じ方向を向くことだ。その典型的な例として,2002年のFIFAワールドカップにおける赤い悪魔(붉은 악마 プルグンアンマ)とか,昨年の朴槿惠退陣要求ろうそく集会,更には80%を超える新大統領の支持率などが挙げられよう。
外国人はそもそも「ウリ」の中には入っていないから,内部の人間について外から考えてみる。勿論煽る人間や組織はあるのだろうが,単なる付和雷同で済ますことのできない連帯感の高揚が得られるものと思える。
そっぽを向くのにも勇気(ひょっとしたら何かを失う覚悟)が要り,絶えず他人の目にどう映るか(体面)を気にしながら生きて行かなければならないような社会。日本人の感覚からすれば,このような韓国社会は息が詰まるのではないかと余計な心配をする。しかし実際にその社会で生きている韓国人にとっては,そうは感じないのかもしれない。
このような極端に強い体面意識が,いろいろな場面で韓国を特徴づける国民性として現れるようだ。

へそ曲がりで群れることを嫌悪する身にとっては,武藤正敏ではないけれど「韓国人に生まれなくてよかった」と思えるほどだ。日本が住み易い国とは決してい思わないが。

更に独善的とも思える考え方(사고방식=思考方式)だ。比喩を用いれば,ユークリッド幾何学に慣れ親しんだ人間には,韓国人の考え方はまるで非ユークリッド幾何学の世界のようだ。冷静に考えればユークリッドも非ユークリッドもどちらも成り立つと納得できる。しかし韓国人は自らの世界観・歴史観だけが正しいと信じている節があるから,ユークリッドか非ユークリッドのどちらか一方だけが正しく他方を認めようとはしない。或いはどちらも成り立つと主張する人間を軽蔑する。そして元は中国譲りだろうが,独自に磨きをかけた屁理屈を駆使する。
このように根本的に価値観が異なっているという事実は,そのまま現実として受け入れるしかない。

もう一つの特徴は,悲劇の主人公を演じたがるという点だ。これに「歴史上最も~」とか「世界で最も~」などの形容を付ければ文句なしに酔いしれるようだ。しかし「悲劇」と捉えるのも大げさな形容を付けるのも所詮自作自演だから,観客側に回って真に受ける気はしない。

隣国だから理解し合えるはずだとか,隣の国だから仲良くしなければというような能天気な発言は聞き飽きた。韓国は中国と並んで厄介な国だということ,そのため付き合い難いという認識から出発するしかない。このように一昔前とは違ってようやく相手の実像が見えてきたのは,お互いにとってマイナスとは限らない。
逆に実像に目を瞑って媚びへつらい,共闘だの連帯だのを謳う日本の市民団体とやらは似而非(사이비)かマヌケのどちらかだ。当然,日本を変えるのに韓国なんぞの外勢を当てにはしないという気概を持っているわけがない。

今後は韓国社会のもう一つの特徴である「責任転嫁」を中心に,韓国社会に重くのしかかっている「韓国併合」の問題をもう一度考えてみることにする。
江原道春川(춘천 チュンチョン)で生まれた日本人として,そもそもこのブログを始めた原点がそこにあるから,一周回って戻ることになる。
ただしこのブログは今回が最終回で,今後は他の媒体に載せたものを補遺の形で数回掲載する予定。

2017年6月30日 (金)

チェクポルレⅡ⑭ 文富軾②

☆ 大道寺将司
先月,朝日新聞デジタルが「1970年代に起きた連続企業爆破事件で、殺人などの罪に問われた大道寺将司死刑囚(68)が24日午前、東京拘置所で死亡したことが、関係者への取材でわかった。死因は多発性骨髄腫という。」と報じていた。死刑執行による死ではなかったようだ。
そもそもこの文富軾を取り上げようと思ったのも,三菱重工爆破事件と釜山アメリカ文化院放火事件との類似性を感じたからだ。

大道寺の獄中書簡集『明けの星を見上げて』から引用する。
--三菱重工爆破闘争は誤りであり,失敗でした。攻撃してはならない人々を多数殺傷(※)してしまったのですから。殺傷してしまった方々,その遺族の方々には深くお詫びしなければなりません。…通行人や三菱重工の社員を殺傷する意図は持っていませんでした。
※ 8人の死者と300余名の負傷者

さらに『死刑確定中』から引用。
--被害者のみなさんにはただただ伏してお詫びする他ありません。亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに,心から謝罪します。自分たちの犯した誤りの大きさに言葉もありませんが,生きて償わせていただきたいと念じております。
--謝罪と償いは他の誰でもなくぼく自身がしなくてばならないことですから,これから先どれほど時間がかかるかわかりませんが,なんとしても生きていかなくてはならないと思っている…

☆ 『失われた記憶を求めて--狂気の時代を考える』|(2005,現代企画室)

『잃어버린 기억을 찾아서--광기의 시대를 생각함』(2002年,삼인)の日本語訳(抄訳)である。
当然,,釜山アメリカ文化院放火事件に関しての論及があるものと思ったのは,全くの早とちりだった。特に第4章のタイトルとなっている「誰もすまないとは言わなかった(누구도 미안하다고 말하지 않않다)」は,大道寺将司とはまた異なった視点からの考察でも含まれているのかと期待したのだが。 それでも,朴正熙時代の「非転向囚」に対する殺人的な転向工作,全斗煥による光州虐殺並びに三清教育隊事件が詳述されている。これに関して本文から引用すれば次の通り。
--まず光州虐殺が政治的に抵抗する一都市の市民を相手に十日という短い(?)期間に,特殊訓練を受けた鎮圧軍を投入して集中的に暴力を加えたものだとすれば,三清教育隊は,「ごろつき掃討」という名目を掲げていたものの,実際においては全国的に不特定多数の市民を相手に,一年近い長い期間,一般軍部隊のなかで持続的に日常的に加えられた暴力だという点で差異がある。それは取るに足らないイデオロギーの名分すら捨て去ってしまった剥き出しの暴力だった--

☆ 三淸教育隊(삼청교육대)
1980年8月に全斗煥大統領が「社会悪一掃」の名目で江原道に設立。前科者・ごろつきなどを連行して入隊させ,「教育」と称する過酷な訓錬を受けさせた。民主化運動の活動家も入隊させられ,民主化運動弾圧の意図があったようだ。社会の不満の矛先をかわすトランプ政権のやり口と類似するかもしれない。
訓練のイメージとしては映画『シルミド(실미도=實尾島)』を思い浮かべるが,実尾島事件とは時代も異なるし,高額の報酬に応募した一般市民という点で全く異なる。
申京淑(신경숙 シン・ギョンスク)の小説『외딴방(離れ部屋)』で,練炭屋のおやじがある日突然連行される場面が出てくる。そういえば刀傷があり,入れ墨もしていたと説明が続く。
申京淑といえば『엄마를 부탁해(母をお願い)』がベストセラーになったころ,韓国人でノーベル文学賞に最も近いとされていた。ところが盗作騒ぎで一気にぽしゃってしまった。

さて話を戻して『失われた記憶を求めて』の第4章のタイトルが意味するところはこうだった。
--私はいまだにベトナムで,光州で,三清教育隊で,…人を殺した韓国軍兵士が自らの行為を真に悔い,死んだ者とその家族に真に懺悔したという消息をほとんど聞いたことがない。
--捕まえられてきた女性を性的に蹂躙したり,濡れた体に電流を流して結局は死にいたらしめた拷問捜査官が,犠牲者の家族にすまなかったとという言葉を一言でも発したという消息も聞いたことがない。

訳者(板垣竜太)のあとがきによれば,文富軾は逃げ遅れて亡くなった張德述に「死ぬ日まで祈祷をもって罪を償い罪を永遠のものとする」と誓っているようだ。
これはあくまで訳者への私信によるものであって,献詞「張德述君の霊前に捧げる(장덕술 군의 영전에 바친다.)」以外に詳細には述べられていない。

☆ 翻訳
原著は第1章~第9章であるが,この訳書は第5章~第9章が割愛された抄訳である。全訳にすればページ数も増え値も張るだろうから,ますます売れなくなるというのは分からないではない。しかしカットされた第5章で論じられているのは前回も触れた東義大事件である。
訳者によれば,
--火災およびそれによる警察官7名の死が,意図的な武装闘争によるものではなく,あくまでも不慮の事態だったという点である。…事件の関連者が,民主化補償審議委員会に申し立てたのは,あくまでも「真相解明」を目的とするものだったという。しかし結局のところ火災の原因が明らかになったわけではなかった。…当時の学生たちの「動機」を重視することで,委員会はこれを民主化運動と認定したのであり,文富軾の批判の矛先はまさにこの点にあり,…
--明らかに他の章と比べてもどかしい内容になっていた。

というような事情で著者も改稿を希望しているようだが,都合の悪い部分をカットして出版するのはフェアと思えない。最低限の注釈で訳出して,どう読み取るかの判断は読者に委ねるべきではなかろうか。--その思考の軌跡自体たいへん重要である--と考えるのなら尚更。
訳者がかなりのページを割いて甲斐甲斐しく(?)弁護している過保護ぶりは却って白けてしまうとしか言いようがない。

 

 

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